母国語のコマンダー:言語は「理解」ではなく「行為」である
第三層の中核にあるのが、言語能力であると私は思う。ここで言う言語能力とは、読解力や表現技法の話ではない。自ら問いを立て、不完全な考えを言葉にし、対話を通じて磨き上げ、合意や行動へと変換していく力、即ち母国語を「理解のための道具」ではなく、「自らの人生を設計・推進」し、さらには「世界を動かすための道具」として使いこなす能力である。
いわば、母国語のコマンダーになることだ。なお、ここで「母国語のコマンダー」と強調することは、英語や外国語の重要性を否定するものではない。むしろ逆であって、幼少期から母国語で「考え、問い、構造化し、他者を動かす」訓練を積んでいるからこそ、第二言語は“道具”として機能する。思考のOSが未成熟なままでは、どれほど語学を積み上げても、表層的な運用にとどまる。その延長が、国際社会の中で立ちすくむ日本を裏で演出している危機感さえある。
日本の教育は、歴史的にこの方向を目指してこなかった。明治以降、西洋に追いつくために必要だったのは、まず正確な読解だった。与えられた題材を理解し、その理解を試験で示す。主人公の気持ちを選択肢から選ぶ、要約する—こうした能力は合理的であり、一定の成果を上げてきた。
だが今、国が目指すのは「追いつく」ではなく「価値を生み出す」ことである。高市政権がその実現手段として前面に掲げるのが、「日本成長戦略本部/会議」を司令塔とした成長戦略であり、そこでは国家として重点投資すべき対象が「17の戦略分野」として整理されている。そこに並ぶのは、AI・半導体を筆頭に、造船、量子、バイオ、資源・エネルギー安全保障・GXなど17の分野に跨るいわば「国の勝ち筋を束ねたポートフォリオ」である。
この17分野は単なる“成長産業リスト”ではなく、政権が言うところの「危機管理投資」と「成長投資」を一体として回す設計になっている点が決定的に重要だ。供給構造を抜本的に強化し、国際展開、人材育成、産学連携、国際標準化まで含めた総合支援で、官民投資を引き出すという思想が最初から織り込まれている。
さらに重要なのはAI・テクノロジーの位置付けだ。特にAIは「便利なツール」ではなく、17分野の先頭に置かれ、半導体やデジタル基盤と不可分に扱われる“産業基盤”であり、国家の供給力・競争力・安全保障を束ねて底上げする中核要素として設計されている。
17の戦略分野は、紙の上で並べた瞬間に勝ち筋になるわけではない。勝負を決めるのは、投資や制度を現場の価値に変換し、社会に回し、海外市場まで展開する「実装力」である。AIはその実装を加速する“産業基盤”だが、AIが自動的に価値を生むわけではない。価値を生むのは、AIを梃子にして現実を動かす人間である。だからここでも言語のコマンド能力が決定的に重要になってくるのである。AIは魔法の箱ではない。AIは「答える装置」だ。 したがって「正しい問い」を立てられない人間には、どれほど高性能なAIでも凡庸な答えしか返さない。
より重大なのは、その先に待っている帰結だ。高市政権が「AI実装」を国家の最重要テーマに据える以上、これは一部の先端企業の話ではない。行政、医療、教育、製造、金融、そして家庭に至るまで、AIが「当たり前のインフラ」として入り込む社会になる。AIが普及すれば、仕事は確実に組み替わる。新しい仕事が生まれる一方、確実になくなる仕事も出てくる。しかし、そこで分岐するのは「AIが使えるかどうか」ではない。AIを人生の伴奏者にできるかどうかだ。自分の状況を言語化し、問いを立て、反芻し、試し、失敗し、学び直し、次の一手を作れる人間は、AIを梃子にして前へ進む。だが、問いを立てられない人間は、AIを前に立ち尽くす。仕事を奪われるのは「AIが登場したから」ではない。前に進むための最初の問いを、自分の言葉で立てられないからである。
問いを立て、言語で思考を磨き、行動に変換し、周囲を巻き込み、社会に実装する力。母国語を「行為」として使いこなす力こそが、AI実装社会における最大のセーフティネットであり、立ちすくまず前に確実に進むための最大の成長戦略である。
では、ここから何を変えればよいのか。学習指導要領を変えろ、というのは簡単だが現実的ではない。だがそれは、教育が変えられないという意味ではない。問いを立て、言語で考え、行動し、結果を引き受ける力は、教科の中だけで育つものではない。マネー、IT、市民としての判断—そうした「生きた文脈」と学びをどう接続するかによって、同じ教育制度の中でも、人はまったく違う方向に育つ。次回は、このシリーズならではの視点から、制度を前提としつつ、教育の実装を動かす具体的な施策の可能性を探ってみたい。
To Be Continuedである。
