「信頼」が安全管理の代替という学校ガバナンスの不全
今回の事案で特に注目すべきは、学校側の意思決定のあり方である。
保護者説明会で西田校長は「金井先生との信頼関係の中で大丈夫だと判断した」と述べた。この一言が、今回の事故の構造的な問題を端的に表している。
校外活動においては、委託先の法的信用度、保険加入、緊急時の対応、そして下見による現地のリスク評価などを事前に確認することが不可欠である。これらは信頼関係の有無とは無関係に、制度的・手続き的に担保されなければならない。にもかかわらず、それが十分に行われなかった背景には、過去の経験の蓄積があったと考えられる。
同校は約10年をかけてこのプログラムを積み上げてきた。海上からの見学に切り替わったのは23年度からであるが、長い実績の上に生まれた信頼関係が安全確認の手続きを形式化させ、実質的なチェックを弱めた可能性は否定できない。今回で3回目となった海上見学プログラムも、その延長線上にあった。
長期間の継続は、組織の慎重さを鈍らせる。これは「確認よりも関係性を優先する」という組織文化が長い時間をかけて醸成されてきた問題である。
同じ構造は、過去の重大事故に繰り返し現れている。19年の那須雪崩事故では、「これまで問題がなかった」登山訓練中に生徒7人と教諭1人が死亡し、引率教員に業務上過失致死傷罪が適用された。22年の知床遊覧船沈没事故では、波浪注意報下での出航強行と安全管理基準の形骸化が重なり、26人が犠牲になった。
いずれも「これまで大丈夫だった」という慣れが致命的な判断を生んでいる。今回の辺野古の事故もまた、その構造と重なる。
教育現場において信頼は重要な価値である。しかし、生徒の安全管理において、信頼は確認の代替にはなり得ない。この原則が曖昧になった時、事故のリスクは必然的に高まる。
なお、第11管区海上保安本部はすでに学校側から任意聴取を行っており、刑事責任が問われる可能性も排除できない。民事での損害賠償はほぼ避けられないだろう。
監督制度の機能不全も
加えて見過ごせないのは、制度としての機能不全である。海上運送法は有償・無償を問わず人を乗せて運送する場合の登録を義務づけているにもかかわらず、今回の2隻は長年にわたって未登録のまま運航を続けていた。
産経新聞の調査では、東日本18都道県のうち、私立高校の修学旅行先を把握していたのは10道県にとどまり、8都県は行き先自体を把握していなかったことも判明している。学校だけでなく、都道府県による監督体制そのものの見直しが問われている。
