教育としての適切性は担保されていたのか
本件については、教育内容そのものに議論が向けられることも多い。しかし、ここでも冷静に論点を整理する必要がある。
教育活動の適切性は、少なくとも三つの観点から検討されるべきである。すなわち、①目的の教育的正当性、②安全性の確保、③保護者の理解と同意である。
筆者が校長を務めた学校では、修学旅行の行程を検討していた際、「広島の原爆記念館見学を入れてはどうか」という意見が出た。聞けば、かつて同様のコースを設けていたことがあり、背景には保護者からの要望があったという。
二度と悲惨な戦争を繰り返してはならないという意味で原爆記念館を訪れ平和の意味を問い直すことは、教育的に正当な営みである。しかし修学旅行は学校全体としての教育計画のもとに、目的、移動時間や費用、行程の合理性などを踏まえて設計されるものであり、一部の意向だけで内容を決めることは適切ではない。
第一にプログラムの教育的正当性である。同志社国際高校が平和学習を標榜してきたこと自体を否定するものではない。ただし、私立であれ、教育基本法第14条が求める政治的中立の精神から自由ではなく、政治的背景を多分に含んだ活動と結びついたプログラムを学校教育の場に組み込むことが適切であったかどうかは、学校として真摯に検証する責任がある。さらに海上見学が始まる以前の研修旅行のしおりにも、抗議活動への参加を呼びかける文章が掲載されていたことが判明しており、その問いをさらに重くしている。
第二に、安全性の確保である。いかに教育的意義が高くとも、生徒の生命・身体に重大な危険が及ぶ可能性がある状況で実施される活動は、教育として正当化されない。目的と手段の整合性が問われなければならない。
第三に、保護者の理解と同意である。学校側の事前説明は不十分で、抗議船への乗船は伝えられず、保護者からの同意も取っていなかった。実際、亡くなった生徒自身も「友達ときれいなサンゴ礁が見たい、ボートが楽しそうだから」という理由でこのコースを選んでいたと母親が明かしている。
生徒が観光・レジャー感覚で選んだコースが、本来は抗議活動に使われる船への乗船であったとすれば、学校の説明がいかに不十分であったかは明らかだ。修学旅行のプログラムとして組み込む以上、保護者と生徒が内容を理解し判断できる情報を提供することは学校の基本的な責任である。
これらのいずれにおいても、十分な検討が尽くされていたとは言い難い。そのことは、平和学習そのものを否定することではない。しかし、同時に平和学習の名のもとに安全管理とガバナンスが免除されることもない。
