Jリーグの黎明期には、海外でも名をはせた外国人選手が数多く来日。当時、W杯の出場経験もなかった日本に誕生したばかりのプロリーグは、全盛期を過ぎた彼らの「年金リーグ」と揶揄されることもあった。実際、Jリーグのレベルはまだまだ世界には遠く及ばず、スター選手だった三浦知良選手が94年夏にイタリア・セリエAに移籍したことが大きなニュースになったが、現地では思うような結果を残すことすら難しかった。
拡大した「海外組」
一方で、プロ化されたJリーグが若い世代に与えた影響は大きく、彼らは早くからプロとして活躍することを夢見ることができ、サッカーという世界的に開かれた競技環境から、Jリーグでの活躍の先に海外を見据えることもできた。
日韓共催となった02年大会では、イタリア・セリエAの中田英寿選手(パルマ)、イングランド・プレミアリーグの稲本潤一選手(アーセナル)ら4人が初めて「海外組」として代表メンバーに名前を連ねた。
彼らが日本代表入りした当時はJリーグでプレーしており、国内での知名度は抜群だった。しかも、当時の「海外組」は代表の中でも中心的な役割を担う特別な存在として注目されていた。06年ドイツ大会は6人、10年ブラジル大会は4人とチーム編成に占める割合は大きく変わらなかった。
しかし、14年南アフリカ大会は代表23人のうち、約半数の12人を「海外組」が占めるようになった。
さらに18年ロシア大会は15人、前回22年カタール大会では19人と増え続け、今大会では23人と過去最多となった。もはや「海外組」であっても、代表で先発メンバーになるには厳しいレギュラー争いが待っている状況だ。
日本経済新聞の岸名章友記者は5月20日付記事で「今や『海外組』は査証のようでもあり、身を置く海外クラブのレベル、そこで果たす役割の重さによって、代表選手は軽重をはかられるまでになっている」と指摘。「サッカーと地政学」の著者、木崎伸也氏も本の中で、02年~14年の代表は、「国内組」と「欧州組」の“共存”がチーム作りの最大のテーマだったとしたと振り返る。
プロ野球との違い
日本のプロ野球とメジャーリーグの関係と比較してみてみたい。トップのプロ野球選手がメジャーへ移籍する手段は、大きくは1軍に9年間在籍して取得する海外フリーエージェント(FA)権の行使か、球団の容認を得た場合のポスティングシステムに限定される。
ポスティングシステムによる移籍が、ロッテからドジャースへ移籍した佐々木朗希選手のように20代前半というケースも出てきているが、彼らは日本のプロ野球で活躍し、日本代表でワールド・ベースボール・クラシック(WBC)などでプレーするなど、知名度を存分に高めた上で移籍する。このため、元メジャーの肩書きを持つ選手が日本球界に復帰する時にも、それなりの注目度がある。
しかも、今春に開催されたWBC日本代表メンバー30人のうち、現役メジャーリーガーは過去最多でも9人(最終的にけがで辞退したパドレス・松井裕樹投手を含む)にとどまる。野球の場合は日本選手の移籍先が、メジャーリーグに限られていることもある。
一方で、サッカーの場合には、18歳から国外移籍が可能になり、プレーできる選択肢も広い。欧州だけでも数多くのプロリーグが存在し、近年は、元日本代表主将の吉田麻也選手のように米国のメジャーリーグサッカー(MLS)に移籍する日本人選手もいる。
さらに、プロ野球と比べて、サッカーの場合は、海外に移籍する年齢も若い。実力や才能がある選手ほど、Jリーグでの活躍が短期間で海外リーグへ移籍し、Jリーグを経由せずに海外でプレーする選手も出てきた。コアなファン層を除くと、知名度はそこまで高くないまま海を渡る選手も多く、むしろ、4年に一度のW杯での活躍が日本国内での知名度を伸ばすきっかけにもなっている。
