謎につつまれた来歴や人物像
ジョルジョーネの生まれは1477~78年ころとされ、1510年に没している。33歳という短い生涯で確実にこの画家の作品と認められている6点をのぞけば、画題や意匠の同定のみならず、画家の来歴や人物像も今日なお多くの謎につつまれている。
ヴァザーリの伝記によれば、23歳の時にヴェネツィア元首のアゴスティーノ・バルバリーゴと傭兵隊長のコンサルヴォ・フェランテの肖像画を描き、1507年には共和国からの依頼でドゥカーレ宮殿大ホールの装飾画を手掛けた。これに従えば、若くして画家としての才能を高く評価されていたことは間違いない。
とはいえ、その短い活動期間と弟子筋でのちに〈ヴェネツィア派〉の巨匠と呼ばれるティツィアーノの名に上書きされて、ジョルジョーネの実像は歴史の薄い皮膜に覆われている。その作品と主題の解釈をめぐる論争が今日まで繰り返されてきたのは、「風景」や「人物」が中世社会の宗教的寓意や道徳の観念から解かれて、自立した「絵画」へ向かう過渡期のヴェネツィアの〈空気〉を投影しているから、というべきであろうか。
『嵐』(テンペスト)の画題については古来、「マタイ福音書」の「エジプトへの逃避」で描かれたマリアと幼子のキリストという解釈や、ギリシャ神話のトロイアの王子パリスとオイノネーの主題など、数多くの解釈が繰り返されてきた。転変極まりない解釈論争は〈「嵐」のパズル〉などとも呼ばれる。
1978年にイタリアの美術史家、サルヴァトーレ・セッティスは『絵画の発明 ジョルジョーネ「嵐」解読』の中で、この絵が描かれた16世紀から20世紀にいたるまでの間に批評家らが言及した28件におよぶモデルの同定の事例をあげた。
ここでは〈男〉には単なる兵士、牧童、父親のほかジョルジョーネ本人、メルクリウス(ローマ神話の神)、ヘルメス(同)らが、〈女〉にはジプシー女、「大地の母」、娼婦、ヴィーナス、イヴ、イオ(ギリシャ神話の女神)らが、そして〈幼児〉にはパリス(ギリシャ神話の英雄)、バッカス(ローマ神話の酒の神)、アポロニオス(ローマ時代の哲学者)、パルセウス(ギリシャ神話の英雄)らの名があてがわれている。どれとして、そこにはっきりとした主題を浮かび上がらせる決め手にはなりえていない。
セッティス自身は1978年、『嵐』(テンペスタ)の画面に〈アダムとイヴ〉の楽園追放という旧約聖書の主題を重ねて論じた。すなわち、画面は原罪を犯して楽園を追われた二人がさまよう荒れ果てた町並みであり、若い女に抱かれているのは二人の子のカインである。垂れこめた雲の間から怪しく光る雷鳴は神の怒りにほかならない。
しかし、こうした見立ては同時代のイタリアで『嵐』にエックス線写真にかけて行われた分析の結果、画面の左端の〈兵士〉の場所に下絵として「水浴する女」が描かれていたことが明るみに出て瞬く間に根拠を失った。
〈ジョルジョーネが裸体女性を長い棒を持つ物思いに沈んだ青年に変更することができたのだとすれば、無主題派の研究者たちにとってまたとない論拠となるわけだ。意味を変えずに同様の変更を許すようなテーマを想像することは、困難である。あるいは、そうなら本当に《嵐》はテーマを持たなかったのかもしれない。純粋な風景画であるとすれば、稲妻の閃きの下に―折れた円柱の傍ら、橋の彼方に離れている都市を背景にして――いかなる人物がいようといっこうにかまわないだろう〉(セッティス『絵画の発明 ジョルジョーネ「嵐」解読』(小佐野重利監訳)
