2026年6月7日(日)

絵画のヒストリア

2026年6月7日

 ティツィアーノの初期の代表作『聖愛と俗愛』は、銀色のドレスをまとった着衣の女性と緋色の寛衣を大胆にはだけた裸体の女性と対置させている。ここでもあでやかな色彩の対比と背景の城塞や尖塔のある建物を遠望する田園の風景が〈ヴェネツィア派〉に固有の詩情あふれる画面を作り上げている。 

ティツィアーノ「聖愛と俗愛」1514年、ローマ・ボルゲーゼ美術館 (Titian, Public domain, via Wikimedia Commons)

 人間同士の愛を「俗愛」、神への愛を「聖愛」と名付けて向き合わせたこの作品は、ヴェネツィア政府の十人評議会書記、ニッコロ・アウレリオの結婚に際して注文を受けて描かれた。ジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』とも通い合う、新しい〈物語〉がそこに息づいているのである。

ティツィアーノ「日没」1500-10年、ロンドン・ナショナルギャラリー(Giorgione, Public domain, via Wikimedia Commons)

絵画史における「最初の風俗画」

 『嵐』(テンペスタ)に戻ろう。
描かれた16世紀からモデルの同定をめぐって論争が繰り返されてきたこの絵画は、それならば果たして何を主題としようとしたのか。
 
 〈われわれはあの目も眩まんばかりの稲光の下に、裸の女と裸の幼児の、そして母親とそのひとり子の姿を同時に見たが、それは《嵐》のなかで輝くのと同じ光景だ……。事実、古い画布上で、女と幼児は幻想的出現の、そして現実の凹凸ある様相を呈する強い眩惑の性格を明らかに帯びている。この二人組から離れて立つ左の男は、ひとりで親密な芝居に見入る人のような様子である……彼は嵐の支配する人気のない田園で身じろぎひとつせず立つが、彼の希求は目の眩む高みへと昇り、運間で稲妻を炸裂させる〉

 20世紀イタリアのファシスト詩人として知られたガブリエーレ・ダンヌンツィオは著作の『炎』の中で、『嵐』の画面に佇む孤独な〈兵士〉に「男の逞しさの、支配者としての激情の、その燃え上がる官能的な寂しさのイメージを見出し、向かい合う若い裸の女と幼子に「豊穣なる種子の横溢」を見出す。いわば無名の〈男〉と〈母子〉という抽象的な存在の中に運命的な人間の本質を探ろうとした、というのである。

 「この絵の主題は風景である」

 そう述べたのは英国の美術史家のエルンスト・ゴンブリッジである。

 それまでの絵画では、風景は物語や宗教的な場面を描くための「背景」であった。これに対し、『嵐』では大樹の陰にたたずむ〈兵士〉と裸の母子の後景で、暗い空に雷鳴が不気味にとどろき稲妻が光る。

 三人の背後には廃墟のような構築物があり、水辺に架かる橋の周囲に人影はない。しかし、その彼方の遠景には城館のような建物がつらなり、雲間から差し込む陽光があたっている。

 雷鳴や木々の不気味なざわめきといったこの〈風景〉こそ『嵐』の主題であり、人物はこの風景の寓意を伝えるための素材に過ぎないと、この批評家は指摘する。

 一方、19世紀の英国で唯美主義の批評を繰り広げた美術史家のウォルター・ペイターは、『ルネサンス』の中で〈ヴェネツィア派〉の自在で鮮やかな絵画の由来を次のように説いた。

 〈自然主義、宗教的神秘主義、哲学諸理論の支援がなく、したがってそれに迷わされることもなかったから、ヴェネツィア派には一人のジョット―もアンジェリコもボッティチェリもいなかった。カルパッチョやベルリーニ父子に至る初期ヴェネツィア派画家は、何代にもわたるフィレンツェ派芸術家の力を搾り取った思想感情の重圧がなかったので、自分たちの厳密な芸術の領域を見失ったり、絵画の本質を見失ったりするようなことは、微塵もなかった。絵画とは、何よりもまず装飾的で目に訴えるものでなければならない。壁面上の色彩空間で、壁につけた宝石の色合いや、光と影の偶然の交錯よりも巧みな彩を持たねばならない〉(別宮貞徳訳)

現在のヴェネツィア(RudyBalasko/gettyimages)

 ジョルジョーネの絵画を絵画史における「最初の風俗画」ととらえたペイターは、その作品が画布から発する「音楽」を聴くという経験を通して、ルネサンス絵画がはぐくんだ「幸福」の由来を探っている。ジョルジョーネが発する調べはヴェネツィアそのものの人格的表現であり、ヴェネツィアの投射する光の反映である、とペイターはいうのである。

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