「日本最古の神社」の謎— 考古学が覆す記紀の記述
奈良・桜井市に鎮座する大神神社は、『日本書紀』に記された日本最古の神社とされる。三輪山の神・大物主神を祀るこの神社は、崇神天皇の時代に疫病が流行した際、神の祟りを鎮めるために創祀されたと記紀は伝えている。
しかし、考古学はより複雑な実態を示す。初期ヤマト王権の宮都と目される纒向遺跡が栄えていた3世紀には、三輪山祭祀が行われた形跡は見当たらない。祭祀の開始を示す遺物が出土するのは、纒向遺跡が消滅した4世紀後半以降のことだ。
さらに、崇神天皇の命で三輪山祭祀を司ったとされる「大田田根子」の出身地・陶邑(現在の大阪府堺市周辺)は、須恵器の一大生産地だったが、その窯跡の最古のものは5世紀代にまでしかさかのぼれない。つまり大田田根子は崇神天皇と同時代の人物ではなく、5世紀 —雄略天皇の時代— の人物である可能性が高い。神話と考古学の間に横たわる「ずれ」は、日本の起源をめぐる謎をいっそう深くする。
伊勢神宮の「本当の成立年代」— 七世紀末という衝撃的な説
天照大神を祀る伊勢神宮の起源についても、通説とは異なる見方が研究者の間で浮上している。
『日本書紀』は、垂仁天皇の時代に倭姫命が八咫鏡を奉じて各地を巡行し、伊勢の五十鈴川のほとりに祠を建てたことが内宮のルーツだと記す。しかし、垂仁天皇の時代を西暦に換算すると紀元前後となり、そもそも王朝の存在自体が考古学的に想定しにくい時期だ。
民俗学者・筑紫申真の説によれば、内宮の元宮は南伊勢にある滝原宮であり、文武天皇2年(698年)に国家的な施策によって度会郡・宇治の五十鈴川沿いへと遷されたのが内宮の正式な成立だという。もしこの説が正しければ、伊勢神宮の歴史は意外なほど新しいことになる。皇室の最高聖地とされる場所の「誕生」をめぐる問いは、日本という国家の形成過程そのものに直結している。
渡来人、疫病、権力闘争— 『日本書紀』が照らす「現代への問い」
『日本書紀』が記録するのは、神話だけではない。崇神天皇の時代、疫病が大流行して多くの人が亡くなり、社会が混乱したという記述がある。天皇が神託にしたがって三輪山の神を祀り、八十万の神々を祀ると疫病は収束し、国は平穏を取り戻したという。感染症と為政者の対応、そして社会的変革、現代と重なり合う構図が、1300年前の史書に刻まれている。
また、神社や神社祭祀が「純粋に日本固有のもの」ではなく、渡来系氏族の文化と深く絡み合っていたという事実も、この書は丹念に描き出す。大神神社の創祀に関わった氏族は渡来系の可能性があり、出石神社は新羅の王子・アメノヒホコに由来し、宇佐神宮の神官一族・辛島氏は新羅系氏族とされる。「日本固有の文化」という概念そのものを問い直す視点がそこにある。
