「当時、日本の男子はオリンピックに出られないと言われていました。FIBAの事務総長が私の肩を叩きながら『男子は難しいから、女子と3×3をがんばれ』と。すごく悔しかったですけど、1日1日積み重ねていけば、可能性はあるんじゃないかと思いました」
まずは自分たちの現在地を正確に把握し、何が足りないのかを洗い直した。強化に携わる人たちの役割、責任、権限を明確にし、アンダーカテゴリーの指導も整理した。
体格的ハンディの克服は大きなテーマの一つだった。東野は日本でプレーする外国籍選手の帰化を支援し、海外に眠る日本にルーツを持つ大型選手の発掘に尽力した。これにより、身長207センチ・メートルの渡邉飛勇らミックスと呼ばれる海外出身選手の代表入りが格段に増えた。
男子日本代表が東京五輪2020に出場するためには、19年に開催されるワールドカップ(W杯)に自力で出場することが最低条件と見られていた。この時点で出場国枠は与えられていなかったからだ。
日本はアジア予選でスタートから4連敗と崖っぷちに立たされる。そして5戦目の相手は公式戦で一度も勝っていない強豪、オーストラリアだった。日本は帰化したばかりのニック・ファジーカスや、のちにNBAで活躍する大学生の八村塁が大活躍して歴史的な金星を挙げた。この後、8連勝を飾ってW杯出場を決めた。東野はこの試合が日本バスケットボールのターニングポイントになったと感じている。
「負けたらワールドカップもオリンピックもなくなると覚悟した試合でした。その試合に勝てた。しかも79対78って『スラムダンク』で湘北高校が山王工業高校に勝ったスコアとまったく同じなんですよ。運命みたいなものを感じました」
強くなった日本バスケと
貫き続けた信念
強化は着実に実を結び、21年に開催された東京五輪で女子代表が史上初の銀メダルを獲得したのはご存じの通りだ。東野が周囲の反対もありながら就任を強く推したトム・ホーバス監督のチームづくりが光ったことは記憶に新しい。
23年には男子代表が自国開催のW杯でアジア最上位となり、パリ五輪の出場権を獲得した。実に48年ぶりに自力でつかんだ五輪出場だった。
日本代表の強化は間違いなくBリーグの人気拡大にも貢献した。こうして技術委員長を9年務めた東野が活躍の場をクラブに移したのは昨年のことである。
東野には好きな例えがある。NBAサンアントニオ・スパーズのヘッドコーチで、米国代表も率いた名将、グレッグ・ポポヴィッチが引用していた言葉だ。
「石切り場で、叩いても、叩いても割れない石がある。毎日毎日叩き続けて最後に割れた。割れたのは最後の一撃かもしれないけど、コツコツ叩き続け、小さな亀裂が入り、周りの状況も変わった結果、ついに割れた。ちゃんと信じて叩き続けられるか。それが大事なんですよね」
名古屋というまちをより輝かせたい。ビジネスマンや観光客が名古屋を飛び越えて京都や大阪、沖縄に行く「名古屋飛ばし」を解消したい。そのために名古屋Dができることはきっとたくさんある。どんなに硬い石でも叩き続ければいつかは割れる日が訪れる。それが東野の信念だ。(文中敬称略)
