日本各地で空き家が増え、多くの自治体や地域の関係者が困っているという古くて新しい問題をわかりやすい言葉で解説してくれる本である。
経済の構造問題としての対応が必要
以前、筆者(中村)が住んでいた東京郊外の一角にも、朽ち果てる寸前の木造住宅の空き家があった。昼夜を問わず、人が出入りする気配は全くなく、通行人が投げ捨てるゴミが放置され、異臭を放っていた。毎日その場所を歩くたびにいやな思いをしたものだ。近所の人々も迷惑している雰囲気が明白だった。だいぶ長く放置されてからその空き家は解体され、更地に変わった。同じようなことが全国で起こっているのだろうなと素朴に想像していたが、本書を読むと、こうしたケースは実はまだ救われている方だということがわかる。本書に紹介されている様々なケースは、いまこの国が抱えている空き家問題の深刻さを浮き彫りにしている。
次の東京オリンピック・パラリンピックが開かれる2020年には全国の空き家は1000万戸に達し、空き家率は15%になるという。毎年20万戸数ずつ増加しているというから、驚くべき数字である。
著者は問題の本質について、「増え続ける空き家をどう扱うか、始末するかという対策論ではない。日本の構造的な問題に深く関連している」と指摘する。つまり高齢化、人口の減少、住宅の需要と供給というあらゆる課題を巻き込んだ経済の構造問題として対応してゆく必要があるという主張だ。
人口が減り、働き手が減少してゆく時代。人が減れば住む家も多くはいらない。その中で社会インフラとしての住宅は国内では満たされている。いずれ世帯数が減る時代がくることを考えれば、活用されない住宅は増え、その結果、空き家も増えてくる。こうした状況で空き家問題に対応するには、発想の転換や価値観の見直しが不可欠だ。
持っているだけで価値があり、自然に値上がりして資産形成には最良というイメージが強かった家や土地。ごく少数の例外を除いて、もはやそうした時代ではなくなっているのは明らかだ。家を買うことが人生の目標とはなりえず、人生最大の買い物として買った住宅が、最後はお荷物になってしまい、相続すら拒否されかねないのが今の現実だ。自分の親、あるいは配偶者の親のことを考えると決してひとごとではない。寿命が伸び、多くの人が長い人生を生きなければならない時代だからこそ、この問題は深刻なのである。