こう語るのはフランスの国民的流行作家ミシェル・ウエルベックの近著3冊を翻訳した、東京大学文学部の野崎歓教授。ウエルベックはかねてから「イスラムは馬鹿げた宗教」と公言するなど、フランスの一般人の間ではイスラモフォビアの代表作家として見られていた。新作『服従』の中で、ウエルベックは2022年、「イスラム友愛党」がルペン率いる極右政党、国民戦線(FN)を打ち破り、フランス史上初のイスラム政権を実現する様を描いた。
シャルリー・エブド事件があった1月7日は、たまたま『服従』の出版日で、ウエルベックは当初テロの標的とすら噂された。ウエルベックは、犠牲者のひとりで友人の経済ジャーナリスト、ベルナール・マリスの死に「私はシャルリーだ」と涙を見せた後はしばらくマスコミから姿を消し、1月末に再び現れて「我々には火に油を注ぐ権利がある」と発言した。
しかし、野崎氏によれば「ウエルベックは形式に流れ、難解さを競って活気を失ったフランス文学界に、“同時代を描ききる”バルザック的鮮烈なスタイルで登場した純文学の人。文体では村上春樹に似るという人もいるが、内容的には村上龍のような強いメッセージ性をもつ超人気作家」。新作『服従』は「必ずしもイスラモフォビックな内容ではなく、現実味のない未来を描いて“自由の疲弊”を強烈に批判したものとも読める。ウエルベックが描くのは、自分を抑圧するものから自由になっていくことのまぶしさと悲惨さ。脱宗教化と多文化共存の中で価値が多様化し、すがるべき価値が見つけられなくなっている、共和国の原理への問いかけです」。
ウエルベックが好むのは、男女のセクシュアリティが無い未来、脱宗教化のいきすぎた西洋社会、不老不死などのテーマ。『服従』の中のフランスでは、有能なムスリム系大統領のもと、オイルマネーで経済が潤い、シャリーア(イスラム法)により社会的地位の高い人は妻をふたりもつことが許され、ワインも愉しむことができる。
厄介なのは、『服従』の中で拡大して語られるイスラムのイメージ自体は、完全に間違っているとも言えないことだ。家父長制、政教一致、ジハードなどの教義は、2世3世の日常生活の中でゆるく適応されている。たとえば、ジハードは広義には「神の道のために努力すること」。道徳的な振る舞いや祈りなどを通じて、フランス社会で日々実践していくことには何ら問題はない。しかし、ジハードをコーランの別の箇所にある、報復の肯定や殉教主義と共に原理主義的に解釈すれば「聖戦」という狭義の過激行動を肯定することにもなる。
フランス人が「自由原理主義」の不毛を自覚しながらも、イスラムフォビアを抜け出すことができないことの背景には、こうした事情があることも見逃せない。
1月30日には「テロリストがかわいそうだ」と発言し、黙祷に参加しなかった8歳の児童がテロ擁護罪で逮捕されるなど、呆れるほど過熱したイスラモフォビアの余波は続いている。欧州移民の受難はこれからもまだ続きそうだ。
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