対談

2015年4月13日

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理屈で人は動かない

丸山:太陽光バブルと似ているかもしれませんね。権力と責任は裏腹の関係で、日本の地主はまったくのフリーハンドで権力を持っていたわけじゃない。下手なことすると小作争議を起こされるから、権力を持つ側も手を縛られていたんです。今の社会で争議に変わるものは、シンプルにいえば選挙制度ですよね。ドイツの社会はまがりなりにも選挙が機能していることはやはり大きくて、短期的にデタラメは可能でも、長きにわたって多くの人を騙し続けることはできない。権力にいる側もそれをわかっているのは大きいですね。

 もうひとつドイツとの比較でいえば、シンプルな理屈で人を動かそうとしないということもいえます。再生可能エネルギーに取り組む理由で、第一に来るのは雇用です。次が地域の生活基盤であるエネルギーを独自に確保することで、いわばローカルな安全保障です。エネルギー供給をどこかの知らない人に握られていること自体が気持ち悪いという自治のマインドは、やっぱりある。あとは気候変動対策など、いくつかの動機の納得のいく組み合わせをそれぞれが選んでいると思います。

 「社会を変えよう」とか「環境を守ろう」みたいな大きなイシューを提示して、そのロジックで人を動員しようとすること自体がものすごく近代主義的で、効率も悪い。近代社会の矛盾が環境問題に表れているとみんなが言っているのにもかかわらず、近代社会のロジックそのもので対処しようとしているのが、あまり美しくないなって個人的には思います。

 ドイツの仕組みは合意の調達をやらずに、「やればトクする」という制度設計をしておいて、それに応じてファイナンスを組んだり、専門的な技術支援を行うことに主眼があります。日本のようにノウハウをもっている人が地域に出向いて、何かを始めるというのは高コストなんですね。合意できるかどうかもわからないし、時間軸も読めないし、そもそも嫌われるかもしれない。いわば企業の経営判断と同じレベルでそういうことはやれないというのがはっきりしている社会とそうではない社会の違いがあるといえるでしょうね。

久松:素敵なようでも、権利の上に眠れるものはこれを救済せず、ということでもありますね。

丸山:そうです。だから地域差も大きく、やっている地域とそうでない地域の差が出る。その点、オーストリアなんかは設計がゆるくていいですね。太陽光にしても発電よりも熱利用が主で、ラクだし、実はエネルギー効率としても優れている。薪のボイラーを普及させて全館暖房をしたりとか、ああいう緩いのはありだなと思いますね。ドイツよりもオーストリアのほうがそのまま模倣しやすい面があります。

久松:日本では、太陽光はひどいことになっちゃいましたね

丸山:久松さんはイライラしているでしょ?

久松:だってかなりの畑が潰れていますからね。10~15年経ったら使い物にならないでしょ? 誰もメンテナンスしないし。

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