「説明不足」とか「わかりにくい」といった国民世論に加え、自民党推薦の憲法学者が「法案は違憲」と指摘するなど、集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案の国会審議は迷走を続けている。
政府・与党は、国会の会期を95日間延長することで、法案の確実な成立を目指しているが、これまでのような説明を続ける限り、国民の理解が得られるとは思えない。国会審議を聞いていても、活動の現場や法案の主人公である自衛官の姿が見えないからだ。
法設備の欠如で高まるリスク
国会審議は冒頭、法案に反対する野党から、法整備によって自衛隊の活動範囲が広がり、「自衛官のリスク」が高まると指摘された。これに対し中谷防衛相は「自衛隊は厳しい訓練を重ね、リスクを極小化してきた」などと答弁するにとどまっている。災害派遣でも危険な状況に直面することがあるように、活動の幅が広がれば自衛官が死傷するリスクが高まるのは当然だろう。
しかし、政府がなすべきは、法律がないために、現場で活動する自衛官たちが、何度も危険な状況に直面してきた事実を明らかにすることだ。
その一つは、自衛隊が初めて国連平和維持活動(PKO)に派遣されたカンボジアでの出来事だ。1993年4~5月、民主化へのプロセスとなる総選挙が近づくにつれ、ポル・ポト派による選挙妨害が相次ぎ、日本人の国連ボランティアが殺害されたのに続き、岡山県警から派遣された文民警察官もゲリラに襲撃され死亡した。
こうした緊迫した状況の中、日本からボランティアとして派遣されている41人の選挙監視員をどうやって守るのか─が、当時の政府の最大の懸案となった。開会中の国会では、「現地の自衛隊に守らせろ」という無責任な意見が大勢となっていた。
なぜ無責任かと言えば、当時も今も、PKO協力法に基づく自衛隊の活動に、現地の日本人や一緒に活動する他国軍の兵士を守るという「警護」の任務は与えられていないからだ。警護は武器の使用が前提であり、憲法で禁じた武力の行使に発展するおそれがあるという判断だ。にもかかわらず、選挙監視員が犠牲となる事態を恐れた政府は、当時の防衛庁に対し、ひそかに警護手段を考えるよう要請していた。
そもそも自分の身を守る場合(正当防衛)にしか武器の使用が認められていない隊員たちが、どうやって選挙監視員を守ることができるのか。防衛庁と陸上自衛隊が出した答えは、およそ軍事常識では考えられない『人間の盾』という作戦だった。
本来、選挙監視員が武装ゲリラに襲撃されれば、自衛隊はその場に駆けつけ、ゲリラと交戦して監視員を救出する。ところが、そうした武器使用が認められていない隊員たちに求めたのは、自ら進んで襲撃するゲリラの前に立ちはだかり、ゲリラの標的になることで正当防衛を理由にゲリラを掃討する、つまり、隊員たちに「選挙監視員たちの盾になれ」という作戦だった。銃撃戦は必至との判断で、部隊では精鋭のレンジャー隊員ら34人をリストアップ、指名された隊員たちの多くは、妻や子、親兄弟に宛てた遺書を書き残し、“その時”に備えていたという。