2024年4月24日(水)

WEDGE REPORT

2015年8月6日

 海外では、大学や製薬会社の研究者が日頃からBSL-4で病原体に触れ、研究やワクチン・治療薬などの開発を行うことで、有事に危険な病原体を取り扱える研究者を育てることもBSL-4の役割と考えられている。しかし、8月3日付の産経新聞によれば、治療薬やワクチン開発のために大学や製薬企業がこの施設をすぐに利用するのは難しく、武蔵村山市長も当面は施設で行う業務を検査に限定するよう求めたという(注2)。

 東京都下の旧軍用地で起きた事件といえば、先週報じられた調布飛行場の小型機墜落事故が記憶に新しい。近隣の住宅地に墜落して8人の死傷者を出したこの事故も「こんなに住宅地に近いところに危険な施設が!」と問題視されたが、事の始まりは、都市が巨大化して郊外にまで交通網が広がり、わざわざ住宅地から遠いところに作った特殊施設の傍にまで住宅地が押し寄せてきたことの方にある。調布飛行場は終戦後、アメリカ軍に接収され、7年後の1952年に返還されたが、隣接地に設けられた38万坪におよぶ農場は、占領軍の管理の下、1961年まで全国の米軍基地に生鮮野菜を供給していた。

 終戦後、朝鮮戦争(1950-53)の特需によって復興の発端を得た日本は、1955年から57年の神武景気で高度成長期に入り、その好況は1972年の第一次オイルショックのころまで続いた。東京の人口は、復興のための集団就職、長期出稼ぎという形で都心に集中し、次第に武蔵村山市や調布市のある多摩地区へとあふれ出した(注3)。

有事にしか危険性の高い病原体を扱わないとすれば、国内で新しい人材を育てることは不可能

 その頃、東京郊外にあった広大な軍用地の跡地の多くは、学校や病院、公園やスタジアムのほか、飛行場や研究施設などの特別な目的で利用されるようになった。大学や公園・病院であれば歓迎され、目立った公害が無く多額の税金を生む工場であれば黙認されるが、特殊な使命を負って生まれ変わったいくつかの公的施設は、時代の流れと共にさらなる使命を負い、公共の利益のために機能しようとしながらも新たな軋轢に苦しんでいる。

 研究者や政府の期待もむなしく、十分に活用されないまま老朽化だけが進んでしまった当時、最新鋭の設備を備えた武蔵村山のBSL-4もそのひとつだ。BSL-4が稼働していないこれまでの日本では、エボラのよう危険度の病原体を扱える日本人研究者はみな海外育ち。即戦力になる人材は非常に限られている。武蔵村山市の要請どおり、有事にしか危険性の高い病原体を扱わないとすれば、これからも国内で新しい人材を育てることは不可能である。

 また、仮に優秀な研究者がいたところで、企業が開発目的で利用することが出来なければ、危険性の高い病原体に有効な医薬品やワクチン・診断機器などの開発において、引き続き海外に水をあけられ続けることになる。BSL-4が無いため、インフルエンザ薬として開発され、エボラ出血熱にも有効として世界中の注目を集めた富士フイルムの「アビガン」も、日本でエボラ出血熱向け開発が出来なかった。このことにどれだけの関係者が落胆したことか。

 専門家によれば、BSL-4ラボから危険な病原体が環境中に漏れ出す危険性は極めて低く、それよりもずっと問題となるのは「内部にいる人が故意に持ち出す危険性」。海外では2001年の9・11事件および炭疽菌事件以降、バイオテロの危険性を考慮して外国人研究者の受け入れに消極的になった。自国のバイオセキュリティは自国で、それを担う人材は自国で育てるというのが国際基準になりつつある。

 しかし、イタリアで作られた小型BSL-4ラボの建設費は100億。それでも人件費を含む年間の運営費は10億から20億円と言われる。BSL-4を持つには膨大な建設費だけではなく、膨大な運営費もかかるのだ。すでにBSL-3として稼働している村山庁舎の旧式ラボがBSL-4として稼働することで、どれだけの追加コストが生じるかは不明だが、使い方によっては億単位だろう。正確な額について厚労省に問い合わせたところ、現在、感染研で検証中との回答だった。

 「有事にしか活躍しないBSL-4」に留まるのはあまりにも惜しい。「稼働決定」という歴史的成果を喜びつつ、引き続き政府がリーダーシップをもってこの施設を動かせるのか注目したい。

※(注1)詳しくは、「エボラ患者は入院できても退院できない レベル4ラボを正式稼働せよ!国立感染症研究所村山庁舎のBSL-4施設」を参照のこと
※(注2)BSL-4稼働の重要性については以下を参照のこと
エボラは「国防」検体 BSL-4を動かせない(前篇)
検体を奪い合う列強 BSL-4を動かせない(後篇)
※(注3)《参考文献》『首都防空網と<空都>多摩』(鈴木芳行著、吉川弘文庫、2012年)

【修正履歴】調布飛行場の小型飛行機墜落事故について、「8人の命を奪った」としていたのは「8人の死傷者を出した」の誤りでしたので修正します(2015/8/7)

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。


新着記事

»もっと見る