女子高生とはアドレス交換して別れたが、それっきり音信不通となったとのこと。主人はそれからおもむろに壁に飾られている集合写真をどうだと自慢するように指差した。それはなんと今は立派なおばさんになった当の女子高生が一か月前に家族を引き連れてサントリーニ島を訪れ、40年ぶりに居酒屋の主人と再会したときの記念写真とのことであった。双方の家族に囲まれて真ん中に二人が幸せそうに並んでいる。彼女はダメ元で昔もらった住所を頼りに家族と一緒に村中を歩き回り、遂に居酒屋を探し当てたという。
なんという感動秘話であろうか。さっそく私が若者一行に二枚の写真の物語を解説すると感激した若者たちが口々に主人に祝福の言葉を贈った。主人もテンションが上昇して再三我々一行にラキア酒をふるまってくれた。
深夜、降るような星空のもと11人は帰路の田舎道で腕を組んで“We are the World”を高歌放吟しながら行進。40年の時空を超えた奇跡の再会物語とラキア酒で全員の精神が許容範囲の上限まで高揚している。直進しているつもりが右へ左へと蛇行している。
私は行進の最後尾を25歳の台湾の小学校の先生のイーチャンと二人で歩いていた。イーチャンは一年前勤務先の小学校の階段で書類を抱えて降りているときに階段で遊んでいた児童と接触して階段から転落して腰の骨を折るという重傷を負った。労災事故として補償金と治療費と一年間の有給休暇を得て治療に専念して来たが、やっとコルセットをつけて歩けるようになったので気持ちをリセットしようとサントリーニ島に来たという経緯があった。イーチャンはアリーゼと仲が良く私と三人でしばしば遊びに出かけた。
私はイーチャンの腰を気遣って肩を貸してゆっくりと歩いていた。「今日聞いた居酒屋のオーナーの話は本当に感動的ね。私もタカと40年後に日本で会いたいな。」とイーチャンは上気した顔をこちらに向けて中国語で言った。イーチャンは本土の中国人を潜在的に恐れており中国人がいるかもしれないオープンな場所では中国語を決して話さず英語で会話していたが、この時は安心していたのか中国語で会話していた。「40年後はおそらく無理だよ(四十年后是大概不可能)。私はその時は100歳になっているよ(那時候我百歳了)。20年後に日本に来てよ(我希望二十年后来日本。)」と私は答えた。
翌朝9時、超絶景ハイキングに出発するべく集合を呼びかけたが半数近くはhangoverのためベッドに倒れたままであった。