Erman Akinci氏インタビュー
「東南アジアには帰ってくるな」と教育された
幼少時代からCATCHAに参画するまで
今回、インタビューさせて頂いたのは、CATCHA Groupの中でも投資決定にかかわる4人の1人、Erman氏だ。Erman氏はご両親がトルコ人ではあるものの、父親が資源関係の会社に勤めていたことから、生まれがマレーシア、育ちがインドネシアという特異な経歴を持つ。彼に、これまでの道程を聞いてきた。
Erman氏は、高校まで、現地のインターナショナルスクールで育った。20年以上も前の東南アジアは、今とは比べ物にならない程貧しい時代だ。インターナショナルスクールでは、直接的ではないけれども、間接的に次のようなメッセージを伝えられたという。
「先進国で学び、東南アジアには帰ってくるな」
高校まで現地のインターナショナルスクールで学んだ後、彼はアメリカの大学で学んだ。そのままアメリカで就職する……という道を彼は選ばなかった。彼は、インターナショナルの教えとは異なり、卒業後、TVの制作会社のプロデューサーとして、自分が生まれ育った東南アジアを活動拠点として戻ることを決心する。
「自分が生まれ育った東南アジアの現状を世界に伝えたい」
これがErman氏の思いだった。しかし、現実は違った。いくら良いコンテンツを制作しても、中々世間からは注目されなかった。メディアを通した情報発信に限界を感じていたそんな矢先、出会ったのがCATCHAの代表、Patrik氏だった。Erman氏はここで、一制作会社のプロデューサーという立場から、投資会社の事業開発担当と一気にキャリアチェンジすることを決心。いきなり投資先に派遣され、経営者として事業を任せられる。
が、プロデューサーとして一つの番組の収支管理を任せられていたErman氏は、見事に事業を成長させた。投資先の経営を通して感じたことは、TVの番組制作という手段よりも、ビジネス支援という手段を通して世の中に与えることが、世間に与えるインパクトが大きく、より満足感を得ることができた、というものだった。
現在、Erman氏はCATCHAのビジネス支援Directorとして、投資決定と共にポートフォリオの事業開発支援に取り組んでいる。