2024年11月24日(日)

「子縁」でつながる秋津地域のお父さん 

2015年12月5日

 で、みんなが話し合い、代表して役員のお母さんがひとりで伺うことになりました。

 「ピンポ~ン」とドアのブザーを役員のお母さんは鳴らします。

 ドアが静かに開きました。

 やはりおばあちゃんが出てきて、後ろ手にドアを閉めて小さな声で言いました。

 「……孫は白子症で産まれたので娘は泣き臥せったままで何もしないから……」と。

 「娘婿は仕事があるし私も帰りたいけれど帰れないの……」とのこと。

 そんな様子をワイフは私に話しました。

 「でも白子は脳には異常はないし、家に閉じこもるよりも外に出ての沐浴が良いと聞いたけどね」と私。

 アメリカのポップアートの旗手だったアンディ・ウォーホルも肌は白く日光アレルギーがあり一種の白子症と言われていました。また、白子症(アルビノ)であることが芸名の由来であるレゲエミュージシャンのイエローマンも有名ですし、日本の男性タレントの粕谷幸司もアルビノですが活躍しています。

 「私たちで何かできるわけではないのだから、市役所の保健婦さん(当時は「保健婦」と呼んでいた。現在は「保健師」と呼称)に連絡し、多分乳幼児や母子保健担当の保健婦さんが相談に乗ってくれるんじゃないかなぁ」と続けて私はワイフに話しました。

 そこで、ワイフはなかまのお母さんたちと相談し、役員が保健婦さんに連絡しました。

自助・共助、そして公助

 「市の保健婦は5人しかいないので、ご連絡いただきありがとうございます。さっそくそのお母さん宅に伺ってみます」と、保健婦さんは応えたそうです。

 「でもね、5人の保健婦さんの内3人がお年寄り担当で、ふたりが母子保健担当なんだって。その内おひとりは産休なんですって。だから電話で対応いただいた保健婦さんひとりで乳幼児健診などに駆けずり回っているようなのよね」と、生協役員のお母さん。

 当時はまだまだ保健婦さんは少なく、行政の母子保健の対応が充実していなかった時代だったんです。

 訪問後に保健婦さんから役員のお母さんにお電話がありました。


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