一方でUberのサービスを許可しておいて、一方で取り締まりを行うという、矛盾を容認するところが中国らしくて面白い。こういう事例はいくらでもある。やや話が飛躍しすぎかもしれないが、社会主義と市場経済、非透明性、非公平性と市場が併存する株式市場、国際化を進めながら自由兌換は頑なに拒否する人民元取引などなど。
こうした矛盾を共存させるやり方は、 鄧小平の改革開放から多く見られる。それまでの計画経済に市場経済を取り入れる外資を導入する、改革開放を始めるにあたって、矛盾はあっても、「問題が起きれば、やめたらいい」というノリで始めた結果が現在の中国経済の台頭だ。矛盾ゆえの歪みを蓄積し、ときにその歪みが暴発するが、それでもどこかで調整して発展を続けてきた中国。
Uber取り締まりにみる日中の違い
一方、日本は、制度の整合性を重視するので、始めるまでに時間はかかるが、一旦運用が始まれば多くはトラブルがなく、安定稼働がしやすくなる。その反面、経済成長は犠牲にしている部分もあるのかもしれない。老子の言葉に、「水清ければ魚棲まず」といった意味の言葉があるが、中国はまさにこのカオスを受入れることで魚が住む環境を保っているといえよう。こうした日本と中国のいいところがうまく融合できたらどれほどいいかと思う次第。
それでは、中国は、法的に見てグレーまたはブラックとも言えるUberをなぜ受け入れているのか、私が推察した結果は以下の通り。
⒈ユーザーの利便性、相乗りというエコの観点からみればメリット大で、人民の生活の利便性に寄与することができる。
⒉これまで国有中心の保護産業であったタクシー業界に競争原理をもたらし、サービスの向上を促すことができる。
⒊これは、うがった見方かもしれないが、Uberに投資する国際金融資本と中国政府の間でなんらかのディールが成り立っている。
いずれにせよ、現段階は試験運用と言える段階で、今後少しずつ法制面でも整合性を取っていくものと思われる。ユーザーとしては、これからも是非サービスを拡大させていってもらいたいと思う次第である。
コンプライアンス経営にも温度差
一方、外国から中国への投資という観点では、Uberが上記のように法的にはグレーまたはブラックとも言える状況でも中国に投資し、実際に運営を続けている点に、私は興味がある。
日本企業であれば、コンプライアンス違反として踏み込めない領域だと思うのであるが、Uberはコンプライアンス上どのような理論構成で投資を継続しているのか。
もともと、米国から始まったグローバル経済、ネイブ統制、コンプライアンス経営のはずであるが、本家本元の米国と暖簾分けを受けた日本ではその運用に温度差があるといつも感じている。
リスクマネーとして投資家も納得していれば、そのような投資が許容されるのか、おそらく日本ではそういうことではないのだと思う。日本は日本、なんでも米国の真似をする必要はないのであるが、日本のグローバルビジネスのポジショニングとして今一度見直しておきたいポイントと考えている。
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