ちょいとお江戸の読み解き散歩 「ひととき」より

2016年5月29日

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 この「八ツ見(やつみ)のはし」は、今から160年ほど前のお江戸を描いた歌川広重による「名所江戸百景」の中の1点。正式名は「一石橋(いっこくばし)」。その橋の上から富士山を眺めたという名所です。

Photograph © 2015 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection,1921 21_10430

 

ここは日本橋から300メートル

 新緑の季節です。初々しいしだれ柳の若葉をかすめてツバメ(②③)が飛んでいます。江戸から見える富士山(⑤)は、まだ真白な雪景色、この浮世絵が描かれた年は雪が多かったのかもしれません。

 この風景は安政3年(1856)、一石橋から西を描いた歌川広重さんの晩年還暦頃の作品です。タイトルの「八ツ見のはし」とは「一石橋」のこと、この橋から八つの橋が見えたという、お江戸の人気のランドマークでした。広重さんは、画面左下、番傘で隠すように橋の欄干をほんの少し描いています。

 そして正面にしっかり描かれた「銭瓶橋(ぜにがめばし)」、その奥に小さく描かれた「道三橋(どうさんばし)」、さらにその先、柳のかげに江戸城の櫓(やぐら)も見えています(④)。大手御門辺りでしょうか、今なら地下鉄・大手町駅の上、美しいビルが立ち並んでいる辺りです。この銭瓶橋を左に向かって200メートルほど行くと、時代劇の遠山の金さんで有名な北町奉行所が、広重さんのサイン(⑦)の左にありました。現在の東京駅・日本橋口辺りで、モニュメントが残っています。

⑤(左)、⑥(右)

 

 八つ見えた橋とは、「常盤橋(ときわばし)、銭瓶橋、道三橋、呉服橋、鍛冶橋、日本橋、江戸橋」そして足の下(もと)「一石橋」が八つ目の橋。その「一石橋」名前の由来は、橋の北側、金座の後藤庄三郎さんと、南側、呉服町の呉服屋さん・後藤縫殿助(ぬいのすけ)さんが協力して橋を再建したことから、ごとう→「五斗」と「五斗」たして十斗=一石(約百五十キロ)という、江戸っ子好みの洒落から来ています。そして銭瓶橋は、このお堀、道三堀を掘った時に「永楽通宝」の銭の詰まった瓶が出てきたことから名付けられました。道三堀は、徳川さんの侍医を務めた曲直瀬道三(まなせどうさん)の屋敷があったことに由来します。家康さんから始まった江戸の町づくりの目玉事業として、最初に掘った水路でした。その道三堀は日本橋川につながり、さらには大川(隅田川)へと延ばされ、江戸城から続く、見事な水運・水路の運河になったのです。

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