イランの小学校の青年教師
ベッドに入ると私は真面目な男子学生の生き方が少し心配になった。彼の話を聞いていて25年くらい前にテヘラン郊外の山の中の小さな小学校の青年教師を思い出した。彼は28歳くらいで生徒たちに野外授業をしていた。彼は素朴で熱心なイスラム教徒でありイラン・イラク戦争では「イスラムの教えを守るために」革命防衛隊の志願兵として戦ったと語った。青年教師が真面目で好青年であるので却ってイスラム原理主義の影響の大きさと怖さを感じたのである。
サダム・フセイン独裁のイラクとの“聖戦”にイランの幾多の純真な若者が志願して戦死したと当時のイラン石油省の若手の役人から聞いたことがあった。欧米からの軍事支援を受けて圧倒的に優勢なイラク軍の機械化部隊に対してイラン軍は人海戦術で対抗したという。役人氏自身も徴兵されて学卒者として急造の下級将校となりイラン・イラク国境の南部の沼沢地隊の最前線で20人の小隊を率いて消耗戦を戦い抜いた経験を持っていた。
一神教を一途(盲目的?)に信仰することの危うさや怖さを青年教師のまなざしや言葉から感じ取ったが、パリ大学の学生の話を聞いていて同じような危惧を抱いたのである。彼がキリスト教原理主義に陥らないか案じたのであった。
コンク(Conque)の世界遺産の教会と修道院
5月7日 Conqueの世界遺産のサント・フォワ教会及び修道院に巡礼者宿泊施設がある。相変わらずの曇り・小雨・時々晴れという変わりやすい天気のなか上り坂、渓谷、尾根道と上り下りしながら21kmを歩いて中世からの街であるコンクに到着。
ボランティアの中高年の善男善女が受付登録、注意事項の伝達、部屋への案内と手分けして一日百人以上の宿泊客を受け入れている。例により2段ベッドの並ぶ石造りの昔の修道院を改造した部屋に案内された。
隣の二つのベッドには顔見知りの4人連れのフランス人女性一行がいた。12歳くらいの少女とその母親、母親の妹、少女の祖母の四人組であり、数日前からSt.Chelyd’Aubrac、Estaing、Golinhacなどの街で出会って挨拶したことがあった。巡礼の旅では全員が同じ道を同じ方向に歩いているので歩く速度が同じような人とは抜きつ抜かれつで何度も顔を合わせることがある。