これはライフセーバーのいわば、基本中の基本とも言うべきもので、息が上がっている中でも、しっかりとCPR(心肺蘇生)ができるかどうかが試されるものだ。救命救急の現場に遭遇したら、どんなに苦しい状態でも、正しくCPR(心肺蘇生)を行わなければならない。そのため、何度も繰り返しこの練習が行われる。数ある練習メニューの中で、もっとも過酷だと言われているものの一つである。
これが終わると長距離走、その後、ウエイトトレーニングを行うという一日の流れである。すべてが終わると21時を回る。そんな生活だった。
これは一日の練習メニューの一例である。少しでもスポーツをした経験があれば、これがどれほど厳しいものか想像に難くないはずだ。
“結果が出せない”と評価され……
練習中は「苦しいだろ、でも、溺れている人はもっと苦しんだ」と言われて追い込まれた。なぜ走るのか、なぜ泳ぐのか、そしてなぜ自分がライフセーバーになったのか、その理由はあきらかだ。植木に妥協という言葉はなかった。
こうした環境の中でたくましく成長し、植木は競技者としても実力を示し始めていった。だが……。
「当時、先輩たちから言われていたのは、植木は速い。でも結果が出せない。努力は誰もが認めるし、頑張っているんだけどなぁ~というものでした。全日本選手権の最高位は8位で、ジャパンサーフカーニバル(現・全日本種目別選手権)は失格でした。僕は才能があるわけでもないし、ただの苦労人です。ただ、結果が出ないと言われることで、よりストイックになれたと思っています」
植木が初めて全日本選手権で優勝を果たしたのは大学卒業後の02年。2度目が04年である。国内最高峰の大会で最高の結果を残せるまでになった。しかし、優勝した年と2年に1度開催される世界選手権のタイミングが合わず、植木が日本代表に選ばれることはなかった。
「そもそも当時の僕は日本代表候補にも選ばれていなかったので、勝っても権利がなかったんです。実力はあったと思います。でも、選考レースのときに勝てなかった。タイミングや運もあるんだけれど、やはり結果を出せない選手なのかなって思いながら、数年間を過ごして日本代表への憧れが強くなっていきました」