2024年12月23日(月)

したたか者の流儀

2016年8月16日

 草津よいとこ一度はおいで、という歌につられて草津を訪れると、思わぬ物があることに気がつく。現地でも何番目かの観光名物スポットだそうだ。古ぼけた日本家屋には、ハワイ王国公使別荘という看板が掛かっている。カメハメハ大王の名前はとどろいているが、新婚旅行のメッカであったハワイとは、なかなか結び付かない。我々にとってハワイは日系人が多く住むが基本はアメリカであり、意識の底では開闢以来米国だと考えている。しかし、ハワイは明治時代には独立したハワイ王国であった。 

ホノルルのイオラニ宮殿前に建つカメハメハ大王像(iStock)

 ハワイに行くと、日本からの移民で最初にやってきたグループを元年者と呼ぶことがわかる。すなわち明治元年に入植した人々のことだ。当時は米国の領土ではなかったことを忘れてはいけない。したがって、明治初年に移住した人の二世は基本ハワイ人であり、ハワイ王国生まれでもある。20世紀を目前するころ米国領として落ち着いたが、その後先祖の国である日本が戦争を仕掛けて来たのだ。お陰でかなり難しい立場となったが、日系人部隊として有名な442連隊や第百大隊は欧州戦線で驚異的戦果と常道を逸する死傷率で状況を切り開くなどした。

 憑きものがついたような米国の西進は有名であるが、カリフォルニアに達したあとはハワイから日本、フィリピンを目指した。渡り鳥を鳥籠に入れておいても時期になるとネットに向かって突撃するそうだ。米国の西向症も同様な性であろうか。

 1893年に起きた、仕組まれたクーデタとその後の併合でハワイ王国は消滅してしまった。美貌の王女とその死、日本との関係を強化して米国を牽制する動きなどもあり、まがまがしい時が流れていた。現在では銅像や通りの名前に残るのみとなったハワイ王家が偲ばれる。米国も、自らの所作に誤りがあったことを20世紀も終わりになって認めている。ハワイアンを聞いているとそんな悲惨な歴史があったとは信じられない。特にアロハ・オエはかなり意味の深いメッセージ性の強い曲であったようだ。クーデタで王位を追われ、イオラニ宮殿に幽閉された美貌の女王の作詞だそうだ。


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