著作権からのアプローチ
では、上記のようなビッグデータやAIについて、著作権による保護は及ぶのだろうか。また及ぶとすれば、どの部分に及ぶのだろうか。
著作権は、著作物を複製する権利である複製権や、著作物やその複製物を譲渡する権利である譲渡権といった複数の権利を総称する言葉である。それぞれの権利について細かく説明することは避け、ひとまず、あるものが著作権によって保護されるためには、それが著作物でなければならない、ということを理解していただきたい。つまり、ビッグデータやAIがこの著作物に当たれば、著作権による保護が与えられる、ということになる。
では、著作物とはなんであろうか。著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」のことである(著作権法2条1項1号)。この定義から、著作物に当たるためには、次の2つの要件を満たす必要があることが分かる。
① 思想又は感情の創作的な表現であること(=創作性があること)
② 文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものであること(=文芸等の範囲内であること)
なお、後者の要件、つまり文芸等の範囲内であることについては、著作権法に例示規定が設けられており(10条1項)、例示規定に挙げられた物(例えば小説)については、後者の要件を満たすと言って良い。
AIに関わる著作権的保護
コンピュータプログラムは、「プログラムの著作物」として著作権法の例示規定に掲げられている(10条9号)。したがって、コンピュータプログラムは、文芸等の範囲内にあるといえる(②要件)。これにより、もし、あるコンピュータプログラム(の表現)が創作性を有するならば(①要件)、そのプログラムは著作物に当たるということになる。しかし、プログラムの著作物にとって、この創作性の要件が大きな壁となり得るのである。
一般に勘違いされやすいことであるが、著作権制度は、「表現」を保護する制度であり、表現の背景にある「アイディア」を保護するものではない。例えば、読者諸兄が、あるファンタジー小説Aを執筆したと想定して欲しい。この時、著作権が保護しているのは、表現として現れた小説Aそのものであり、ドラゴンが出てきたり、指輪や魔法が登場したりする、といったアイディアを保護しているわけではない。それゆえ、読者諸兄が執筆したこの小説とそっくり同じ要素を使いながら、全く異なる表現で書かれた小説Xが登場した場合、読者諸兄は、この小説Xが、著作権法違反である! と主張して訴えても認められないのである。
さて、コンピュータプログラムに話を戻そう。コンピュータプログラムの場合、文法が厳格に定められており、表現の手段も限定的である。例えば、プログラムを実行すると、パソコンの画面に「あ」と大きく1秒間表示されるだけのプログラムを想定して欲しい。使用するプログラミング言語に関わらず、プログラムはごく単純なものになることが予想され、誰が書いてもほとんど同じプログラムになるだろう。先の説明のとおり、著作権制度は、表現を保護するものである。
パソコンの画面に「あ」と大きく1秒間表示することは、アイディアそのものであり、これを如何に実現するか(=どのようにコードを書くか)が、表現の問題である。保護範囲を広く捉えてしまうと、表現ではなくアイディアを保護する可能性が生じてしまう。こうした懸念から、一般に、プログラムの著作物については、創作性を厳しく求めたり、あるいは著作権の及ぶ範囲を厳格に見たりするなど、アイディア保護にならないよう慎重に検討されている。
AIの先の定義は、「人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させようという試み、或いはそのための一連の基礎技術」であった。AIは、多くの場合、様々なソフトウェアや技術の集合体により構成されているであろう。こうしたソフトウェアを成り立たせているものはコンピュータプログラムであり、先のとおり、これは著作物に当たる可能性がある。著作物への具体的な該当性は、個々のコンピュータプログラムにより異なると言わざるを得ないが、AIを構成するソフトウェアのコンピュータプログラムは、相当に複雑な処理が求められるものを多く含むと推測される。
そうした複雑な処理を行うためのプログラムの表現方法、つまりコードをどのように構成するかについては、これを構成した担当者それぞれによって、個性を発揮する余地もあり得るだろう。それはすなわち、コンピュータプログラムの創作性を肯定する方向に働く。一方、AIを構成するコンピュータプログラムであっても、ごく単純な機能しか有していないものも少なからずあると推測する。こうした単純なプログラムについては、創作性を否定されるか、あるいは肯定されてもごく狭い表面的な保護しか与えられない可能性が高くなる。