小卒の工員さん、苦学して弁護士に
では、李在明というのはどんな人物なのだろうか。私も「青年手当」騒動で名前を聞いてはいたが、個人的にはまったく知らない。ここでは韓国メディアの報道などを基に人物像を描いてみたい。
李氏は、1964年に韓国南東部・慶尚北道安東に5男2女の5番目として生まれた。李氏が小学校を卒業した後に城南市に移り住んだ。生家は非常に貧しく、李氏は小学校卒業で工場労働者として働き始めている。韓国での中学校の義務教育化は85年から段階的に始まったので、70年代半ばだった当時は義務教育ではなかった。
工場では5年間働いた。作業中の事故で腕に大けがをして、現在も後遺症が残っているそうだ。昼間は工場で働きながら夜に勉強して、日本の大学入学資格検定(大検)のような検定試験で中学校と高校の卒業資格を取得。大学は、奨学金を得て韓国・中央大学の法学部に進学した。86年に卒業し、その年の司法試験に合格した。
その後、城南市で人権派弁護士として活動を始めた。2008年総選挙で野党・統合民主党の候補として城南市内の選挙区から初出馬するも落選。10年市長選に初当選し、14年に再選されて2期目を務めている。
この経歴から韓国人が思い出すのは故盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領である。釜山郊外の貧しい農家に生まれた盧氏は商業高校を卒業した後、建設現場で働きながら独学で司法試験に合格。釜山で人権派弁護士として活動した後、1988年総選挙で初当選して政界入りした。政権後半に対日関係が悪化したこともあって日本ではあまりイメージが良くない盧氏だが、韓国では温かみのある人間性で今でも人気が高い。
科挙の伝統があったからか、韓国では苦学して難しい試験に通ったという立志伝は人々に好まれる。1997年の経済危機を契機に導入された新自由主義的な経済政策の下で格差拡大が進み、富を独占する財閥オーナーへの視線が厳しくなっている中では、李市長のようなストーリーは余計に好意的に見られるのだろう。
市長になって緊縮予算で財政立て直し
李氏は初当選直後、前任市長がハコモノ行政で積み上げた借金5200億ウォン(現在のレートで約508億円)を返済できないという事態に直面した。当時の市の一般会計予算の4割超にあたる多額の借金だ。李市長はこの時、法律に規定のなかったモラトリアム(支払い猶予)を一方的に宣言。そのうえで4年間の任期中に緊縮財政を徹底し、借金を完済してしまった。
城南市は、ソウルに隣接する高級住宅街を抱えていたり、近年はIT企業の集まる産業地区ができたりしたため財政的には恵まれている。保守派は「だから借金を返せた」と言うのだが、それでも一般会計予算の4割に当たる金額を4年間でひねり出すのは簡単ではない。しかも、きちんと再選を果たしているのだから、市民からの支持を得ながら超緊縮財政を敷いたということになる。