抜かれた「伝家の宝刀」
太平洋クロマグロの資源状況の悪化は数年前から科学者や専門家の間では広く認識されていたが、この資源を管理している筈のWCPFCの本委員会でこの問題が十分な討議の時間を割いて取り上げられることはこれまでなかった。それは、太平洋クロマグロなどの太平洋北部に主として生息するまぐろ資源は北小委員会でまず審議して勧告すること、本委員会は北小委員会からの勧告に基づかなければ資源管理に関する措置を採択することができないと条約に定められているからである(第11条7項)。このため、本委員会は北小委員会に太平洋クロマグロ資源の管理を委ね、北小委員会からの勧告がそのまま本委員会でさして審議をすることなく採択されてきた。北小委員会は勧告をコンセンサス(全会一致)でしか採択できないと条約で規定されている。日本はこれを良いことに、少しでも実質的な規制を行おうとする提案がでると「拒否権」を発動、結果緩慢な保全管理措置しか勧告できなかったのである。
ところがWCPFCの議事手続規則をよく読むと、確かに本委員会は北小委員会の勧告なしにクロマグロなど北太平洋に生息する資源に関する法的拘束力を有する保全管理措置を取ることができないが、「北小委員会に対し、委員会が適切と考える期間内に北部資源の資源管理措置に関する勧告を策定し提出するよう、指示(request)を行うことができ」、「北小委員会はこうした委員会からの要請を遵守しなければならない(shall)」と定めている(議事手続規則付則Ⅰ第4項)。「shall」という文言は法的拘束力があることを意味しており、ゆえに北小委員会は本委員会の指示に従う法的義務がある。この権限はいわば北小委員会に対する本委員会の「伝家の宝刀」とも言うべきもので、これまで一度も発動されたことがなかった。
「北小委員会からの勧告は何もしないに等しいものだ。これでは勧告を承認できない」との加盟国の声を受け、WCPFCはこの場で北小委員会を開催して追加的な資源保護措置を勧告するよう求めた。これを受けて急きょ開催された北小委員会の席上、米国は初期資源量比20%を資源回復目標とし、幼魚の漁獲停止を含めた資源評価を行うようISCに求める提案を行った。しかし日本代表は「我々は一生懸命資源回復に取り組んでいるではないか。資源は回復しつつあるではないか」と文字通り声を荒らげ妥協を拒否、結果初期資源量比20%という提案はもとより、追加資源評価について幼魚漁獲ゼロシナリオは「政治的配慮から合意できない」という日本の反対から削除され、北小委員会は追加で2つの資源評価を行うようISCに要請したほかは「追加的な資源保護措置を来年の北小委員会で考える」というほぼ無意味な勧告案を提示するのみであった。
ここにきて、加盟国はついに「伝家の宝刀」に手をかけた。会議最終日の金曜日、北小委員会議長からの「ゼロ回答」の報告の後、EUは「やはり赤ちゃんのよちよち歩きではないか。太平洋クロマグロの資源状況の深刻さから鑑みて、十分とは言えない」と発言、FFA諸国とともに、「北小委員会に対して、遅くとも2034年までに初期資源の20%まで資源を回復させる保全管理措置を策定し、次回の第14回本委員会で採択できるようにせよ」との指示を盛り込んだ提案を上程した。日本は「初期資源量比20%」案に対してなおも反対したが、WCPFC加盟国の圧倒的大多数が受け入れを迫った結果、最終的には日本側に多少譲歩する形で、「次回の北小委員会で、遅くとも2034年までに初期資源量比20%の水準に資源を回復させる保全管理措置を策定し、次回WCPFC本会合で採択するようにすべきであるとの本委員会の勧告を、北小委員会は十分考慮せよ」とのやや回りくどい表現がコンセンサスで採択されたのである。紆余曲折はあったものの、日本代表も圧倒的大多数のWCPFC加盟国の声に耳を傾け、クロマグロ資源保護対策に乗り出すものかと思われた。