しかし、軍人であっただけに逆に、アイゼンハワーは不要な武力の行使や安易な軍拡競争には慎重だったという。本書では、アイゼンハワーが1945年当時、日本に原爆を投下する計画があることを知って、当時のトルーマン大統領に反対したことも記している。しかし、アイゼンハワーの意見は聞きいられなかった。本書では次のように書く。
Ike’s reservations about using such a drastic weapon against an enemy that was all but defeated remained unacknowledged, and the bombs, one on Hiroshima and a second on Nagasaki, fell within a week of the Potsdam Conference. The sad truth was, it all might have been avoided had not Truman insisted on unconditional surrender. Given a chance to save face, the Japanese might have come to the table. The use of atomic bombs haunted Ike’s thoughts throughout his presidency, right to the moment of his final address.
「ほとんど負けている敵に対して、そうした壊滅的な兵器を使用することは避けるべきだというアイクの考えは受け入れられず、ポツダム会談から1週間もたたないうちに、広島と長崎にそれぞれひとつずつ爆弾が落ちた。悲しい事実だが、もしトルーマン大統領が日本に対し無条件降伏を求めていなければ、原爆の使用は避けられたかもしれない。面目を保つ余地があれば、日本も交渉のテーブルについたかもしれない。原爆を使ったことは、大統領の任期中ずっと、最後の演説をするその瞬間まで、アイクを悩まし続けた」
昨年10月の本コラム「根強い『原爆投下は正しかった』論」でも紹介したように、歴代のアメリカ大統領は日本への原爆投下を正しかったと考える例が珍しくない。しかし、アイゼンハワー大統領は例外だった。核軍備の増強を軽々しく口にするトランプ大統領とは対照的だ。アイゼンハワーは結局、核兵器については次のように考えたという。
But as Ike prepared to leave office he had reached the conclusion that nuclear weapons were useless in procuring peace, and thus their expansion, at the expense of other interests, was indefensible and potentially dangerous.
「しかし、アイクは大統領を退任する準備を進めるにつれ、核兵器は平和の確保には役立たないとの結論に達した。そして、他のやるべきことを犠牲にして核軍備を増強することは、防衛に役立たないし、もしかすると危険であると」
「核兵器ではなにも守れない」
アイゼンハワー大統領は特に、国民の不安感をいたずらにあおって軍事力の増強を図ることに批判的だった。
Democracy, Ike believed, could be defined as public opinion in action, but leadership played a role in helping to form and direct that opinion. And the promotion of military hysteria was not helpful to the security of the country.
「アイクは民主主義についてこう信じていた。世論の実現と定義できるかもしれないが、しかし、指導者は世論の形成と方向づけを導く役割をすべきだ。そして、国防に関する恐怖心をあおることは国の安全保障にとっていいことではないと信じていた」