東日本大震災のとき、被災者たちが静かに配給を待つようすが世界で賞賛された。災害後のボランティアについても、阪神淡路大震災があった1995年が「元年」とされるが、1923年の関東大震災や、1959年の伊勢湾台風のときも、相当な助け合いがあったと前林氏は指摘する。これらにも、根底で無常観がはたらいているのだろう。
だが一方で、防災をするという面では、日本人の無常観はマイナスに作用してしまう。
「たしかに、ハードやソフトの点では、台風対策でも地震対策でも、日本は世界トップレベルにあります。災害が多かったからです。けれども、ハードやソフトとは別の“ヒューマン”の点では、すぐに忘れてしまうという国民の意識がマイナスに作用してしまいます。防災意識がなかなか高まらないということです」
物理学者だった寺田寅彦にまつわる「災害は忘れた頃にやってくる」という警句は有名だ。この「忘れた」という言葉が使われた背景には、日本人の無常観への意識もあったのかもしれない。寺田は「地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測し難い国土に住むものにとっては天然の無常は遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑に染み渡っている」とも述べている。
ハードやソフトにくらべて、ヒューマン、つまり人の意識の点が取り残されているのであれば、やはりここにも手を打たなければならない。だが、「五臓六腑に染み渡っている」無常観を覆すのは不可能だろうから、無常観があることを前提に日本人の防災意識を高める方法を考えなければならない。
そこで、前林氏は二つの方策を提唱する。
ボトムからの防災教育と
防災関連の省庁の設置を
「一つは教育です。小中学校で『防災』という科目の授業をおこなえば、人々の防災への意識は変わっていくと思います」
前林氏は人の意識を変えるには宗教と教育しかないと考えている。だが、「日本での宗教は、“八百万の神”を崇めるもので、無常観とも深く関わっているので、宗教で災害意識を変化させるのはむずかしい」と言う。一方、教育のなかで防災を扱う授業を組み込めれば、「意識は変えられると思います」。