なお、自殺までの学校の責任を認めた判例は少ないのですが、そこだけにとらわれるのではなく、自殺までの責任はないけれどいじめを止めることが出来なかった責任は認めるという判例にも注目する必要があると思いました。
自殺までの責任を認めた判例は、すべて過失相殺に進んでいます。その結果、ひどいいじめを止められなかった責任のみを認定したケースと、自殺までの責任を認めたケースとで、認められた賠償額がほとんど変わらなかったり、ときには逆転していたりすることがあります。仮に金額を責任の重さとみなせば、いじめを止められなかった責任は十分痛烈に問われているとも言えます。
――どうしても過労自殺裁判といじめ自殺裁判を比べてしまうのですが。
元森:一般的に、長時間労働を強いた企業と、いじめを止めることが出来なかった学校、そして自殺に至った社員と生徒とは、同じような構造に見えるかもしれません。ただ、加害者を見ていくと、過労自殺で長時間労働を強いたのは上司と会社、いじめ自殺ではいじめた生徒なんです。止めることが出来なかった教師や学校は、直接の加害者とは、また違うポジションにいることになります。また、自殺するほどの長時間労働となると、会社以外での時間がほとんどないような状況になりますが、いじめの場合は、いじめられた子には、学校外での時間もたくさんあります。こういった中で、学校にむやみに自殺まで責任をとれと責め立てていくことが建設的なのかは、もっと社会的に議論していく必要があると思います。
――ということは、過労自殺裁判といじめ自殺裁判では、法廷で争う論理が違ってくるわけですね?
元森:過労自殺などは、精神障害に罹患していたために自殺をしたという論理で企業の責任を問うという方向性になっていますが、今まで述べてきたように、子どもの自殺ではそうはなっていません。
いじめ自殺の民事裁判を担当された弁護士に取材した際に、過労自殺では「過労→精神疾患→自殺」というレトリックで戦って企業責任が認められてきているが、いじめ自殺も「いじめ→精神疾患→自殺」という訴え方をしようとは思わないのかとたずねてみました。そうすれば、いじめを止められなかった責任さえ認められれば、事実上、自殺までの責任が問えるという形に持ち込めるのではないかと。ところが、それは考えていなかったという回答でした。子どもが精神疾患に罹患するという発想がなかったとのことでした。スクールカウンセラーが学校に導入されるなど、別の場面では子どもがうつ病を始めとする精神疾患に罹患することが強調されているのですが。