――電通過労自殺裁判が転換点となった背景とは?
元森:そもそも長時間労働の末に自殺したとしても、労災認定が下りる見込みは非常に低かったんです。労災認定は業務を通じた健康上の損害を補償する制度です。そのため、業務起因性が明白な事故や怪我と違い、過労による死が業務上の損害とみなせるかが問題となってしまいます。ただ、労災認定については1960年代から、例えば過労により脳・心臓疾患を患うことは徐々に認められるようになりました。しかし、自殺では、最後に死を選んだのは本人の意志ではないかという問題が、ここに加わります。
そこで、労災認定が望めない中、企業の責任を問うために提訴された電通裁判で、弁護団は、「過労で脳・心臓疾患を患う」のと同様に、過労で精神障害を患い自殺した(当人の意志ではない)という、当時としては大変インパクトのあるレトリックを採用し勝訴しました。
背景には、自殺とうつ病などの精神疾患の関係についての研究が進んだことがあげられます。自殺者の大半がうつ病などの精神疾患に罹患しているという精神医学の知見があり、WHO(世界保健機関)の「自殺予防・医療者のための資料」では、先進国、途上国ともに、自殺者の80~100パーセントが精神障害だったとされています。
こうしたエビデンスにより、自殺は精神病理として扱われ、自殺の「精神医療化」と説明したくなるほどになりました。つまり、自殺を図ったということは、精神障害に罹患していた可能性が高い、となったのです。ただ、では実際に精神医療化といえるほどの事態が進んだかというと、そうでもありません。この法理が定着し、労災認定制度にも反映された結果、労災認定や損害賠償請求裁判では、自殺した人が実際に精神障害に罹患していたかは、あまり問われなくなっています。代わりに、精神障害に罹患してもおかしくない労働状況だったかが問題となります。実務の場では、精神の病説と社会問題説がこう拮抗しているのです。
――「精神疾患→自殺」というレトリックが採用されるようになった00年以降、過労自殺の損害賠償請求裁判で、遺族側が勝てるようになったのでしょうか?
元森:過労自殺の場合、世間が注目するのは、自殺の責任を企業側に認めるかです。その意味では、電通裁判判決以降、労働時間などの条件が整えば、企業の責任が認定される道が開かれました。ただ、認められた場合、過失相殺(編注:被害者自身や遺族等にも過失が認められる場合、賠償額からその分を考慮し減額すること)の議論に進むことがほとんどです。
電通過労自殺裁判では、過失相殺が0でした。過失相殺が0でないケースでは、精神障害に罹患したのは、会社の責任なのか、それとも本人や家族にも責任があるのかが、結局もう1度問われていることになります。最終的な賠償額は50~80%減額されているそうです。
――昨年10月に電通社員だった高橋まつりさんの自殺が労災認定され、電通本社にも東京労働局が立入調査に入るなど、注目を集めています。奇しくも新たな電通社員の死がさらなる歴史的転換点となる可能性は高いのでしょうか?
元森:民事裁判では上記のように訴え方が固まってきており、労災認定も下りやすくなっています。ただ、だからといって、過重労働については歯止めが掛かっていません。その意味で、労働法上の刑事責任が問われる意義は大きいでしょうね。
また、今回、初の『過労死等防止対策白書』が公表された日に、遺族が厚生労働省で記者会見をしたことに、新しい社会問題化のうねりを感じます。