――過労自殺と同じようなレトリックで裁判を戦っている事例はないのでしょうか?
元森:判例を読んだ中で、いじめで精神障害に罹患したという訴え方をしているケースは3つありました。神奈川県立野庭高校で高1の女子生徒が自殺した事件、栃木県鹿沼市の中学校で中3の男子生徒が自殺した事件、そして名古屋経済大学附属市邨中学校で中1時にいじめられた女子生徒が、転校後に自殺した事件です。このうち、野庭高校と名古屋経済大附属のケースは、実際に精神疾患という医師の診断が出ていましたから、訴状にもその旨書かれているだけです。唯一、鹿沼の件は、精神疾患の診断がなかったにもかかわらず、いじめられてうつ病に罹患した末に自殺したと、二審では過労自殺と同じレトリックで訴えています。一審では、精神疾患については触れなかったらしいのですが、担当した弁護士が子ども事案を専門とする方でなかったから柔軟に考えられたのか、過労自殺を参考にして同じようなレトリックを組み立てたのだそうです。
裁判というのは、訴えた論理でしか判断されません。原告側が、自殺に至ったのはこういった経緯で、それがこの法律の問題に抵触しますと論理を組み立て、裏付ける証拠を添えて訴えます。裁判所は、本当にそのような経緯だったか(事実認定)、それが本当にその法律に違反しているのかを判断します。結果として、鹿沼の事件では、裁判所は「いじめ→精神障害→自殺」という原告側の論理構成には異議を挟まず、それに沿った判断を行いました。ただ、うつ病に罹患したと推定される時期が、いじめにあった時点から離れすぎているとして、「いじめ→精神障害」という事実認定がされませんでした。もし、この裁判で勝訴していれば、いじめ自殺の電通過労自殺裁判になったかもしれません。
なお、本書の観点から見れば、これだけ自殺の原因は精神障害という論調が強まる中で、子どもが精神障害になるというレトリックで訴えようと思わないということ自体が、私たちの個人や意志、大人や子どもという想定の一端を表しているようで興味深いです。
――最後に、あえてこんな人に本書を読んで欲しいというのはありますか?
元森:自殺はよくないことと思ってしまいがちですが、安楽死の議論があるように、最終的に自らの意志で死を選ぶ権利はあってもいい気がしませんか?その両方に引き裂かれ、スッキリしない気持ちについて考えてみたいという人に、是非読んでほしいですね。また、個人と社会の関係性を様々な形で社会学として問いたいと考えているので、方法論的な含意も汲んでいただければ嬉しいですね。厭世自殺と生命保険自殺を扱った貞包英之さんの章、警察やメディアなどの現場の対応を扱った野上元さんの章も、是非読んでいただきたいです。
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