2024年11月24日(日)

特別対談企画「出口さんの学び舎」

2017年6月30日

エピソードを並べただけの会議は意味がない

出口:先ほど家庭のマネジメントの話が出ましたが、女性の皆さんに「あなたのパートナーは育児、家事、介護をしていますか?」と聞くと、「ほとんどしていない」という人が7~8割だそうです。ところが、ある先生が、「あなたは一定の時間があれば、パートナーをなんとか転がせますか?」と聞いたんですね。すると、6~7割の女性が「転がせる」と答えたそうです。

中室:へえー。

出口:つまり、長時間労働をやめればいいんですよ。そうすればお父さんは転がされて、家事、育児、介護をやるようになります。早く帰ってきて、行くところがなければ、そうせざるを得ませんよね。

中室:そうですね。

出口:長時間労働をやめることは、やっぱりすごく大事なことなんです。

中室:私は、比較的若い頃から政府の審議会に有識者として参加することが多いのですが、その時に驚くのが、「有識者」のほとんどが高齢の男性だということです。

出口:あれはすごいですねえ。

中室:今、出口さんがおっしゃったように、彼らが家庭の中で、家事も育児も介護も7割やっていなかったとすると、有識者会議で取りまとめられる意見が非常に偏りのあるものになってしまうのではないか、と思うのです。

出口:この社会の一番の問題は、意思決定をしている人々が、高度成長期のモーレツサラリーマン時代に頑張って偉くなった人ばかりだということ。ダイバーシティとか無縁ですからね。

中室:私はもう少し、日本政府の有識者会議にダイバーシティがあってよいのではないかと思います。

出口:そういうところでは、根拠なき精神論ばかり。

中室:本当にそうですね。

出口:彼らが語るのは、エピソードです。これは、日経新聞のコラムで読んだのですが、財政経済諮問会議の議事録を見たら、誰かが「僕はこういう経験がある」と言っていた。第二の発言者が「私の会社ではこういうことがある」、第三の発言者が「僕の友人の話では……」と、エピソードばかり並べていると書いていました。

 その執筆者は「エピソードを並べて何になるんや?」。日本全体の経済や財政を議論する場だから、エビデンスを出してデータを見て議論しなければ、と。

 そんな議論に意味があるのか、と。エピソードとエビデンスを区別する訓練をしないといけませんよね。

中室:おっしゃる通りです。

出口:エピソードって人の心をつかむんです。先ほどから何度も話しているパットナムの『われらの子ども』ですが、書き方がものすごく上手いんです。最初にエピソードを持ってきているんですよ。

中室:なるほど。

出口:要するに、道路を挟んで1%の貧困率と、51%の貧困率。その子どもたちのインタビューから入る。格差のひどい状況を明らかにして「なんやこれは? これはあかんのやないか?」と思わせておいて、その後にエビデンスを延々と続けるんです。エピソードをすべてデータで裏付けていく。ものすごい説得力なんです。

中室:確かにそうでしょうね。

出口:だから、エピソードが無意味ということはありません。具体的で個別的な話は人の心を掴むんですよね。でもそれは、エビデンスで裏付けない限り、議論してはいけないんです。

中室:日本の場合は、エピソードしかないというところが問題なんですね。

出口:しかも、エピソードを出す人が偏っている。例えば日本人の現在の喫煙率って2割くらいなのに、国会議員はそれより高い。これは、ひとえに投票率が低いからですよ。日本の政治は異常な社会で、しかも国会議員の中で二世三世の世襲議員が約5割を占めています。G7で1割を超えている国は皆無ですよね。これも投票率が低いからです。

学者はもっとアウトリーチすべきです

中室:私は、研究者ももっと研究成果の発信に力を入れていくべきではないかと感じるときがあります。でも、研究者のアウトリーチというのは、あまり積極的に行われてきませんでした。

出口:それはなぜですか?

中室:例えば、既に亡くなった著名な経済学者の先生が「経済学者はテレビに出るな、霞が関には近づくな」とおっしゃったという話が有名なのですが、研究者は安易にテレビに出て話をしたり、政治や政策と関わってはならないというのは、ある時代までは不文律のように存在していたのではないかと思っています。ただ、生意気なようですが、私は「経済学者はテレビに出るな、霞が関には近づくな」とは必ずしも思っていません。特に私たちのような(データを利用する)実証研究の研究者は、常に現実の社会の中に研究のテーマを見出し、そこでデータの収集を行っていく必要があります。行政や、学校や、児童・生徒、そして保護者など多くの人の協力や理解を得ないと研究が前に進められないんです。研究成果を積極的に発信し、社会に還元することこそ多くの人の協力や理解を得られる一番の近道だと私は思っています。

 更には、データを用いて、科学的と考えられる方法で分析した結果をきちんと公表しないと、偽科学とも呼ばれるような、専門家とはとても呼べない人たちの見解が支配的になっていくリスクもあります。実際、教育や健康、医療といった身近なテーマほど、そういった真偽不明の情報が多く出回っているように感じます。


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