彼は、自身のキャリアを考えるきっかけとして、企業から与えられたミッションに取り組み、クラスメイトと切磋琢磨し、意見をぶつけ合い、企画を練り、プレゼンテーションを創り上げた。そしてその先に残ったのは「もっと学びたい」という学びへの意欲だったのだ。これはテストで良い点数を取るための答えが一つに決まった学びではなく、国語算数理科社会といった教科に割り振られた学びでもなく、「知らないことを知る」、「分かると楽しいからもっと知りたい」という非常に原初的な「学び」への欲求である。
変化の激しい時代において、学び続けなければいけないのは当然子どもも大人も同様だ。そして学び続けるということを支えるのは「学びたい」という純粋な欲求である。人生という大きなテーマを見つめるキャリア教育において本当に評価すべきことは、「学ぶ喜び」を体験できたか、あるいは「学ぶ意欲」の向上なのではないだろうか。さらに言えば、取り組みの到達度を測るためではなく、子どもたちの学びを支援し、促進するようなカタチの評価となることが重要となっていくだろう。
「なにを評価するのか」ということは生徒たちに対して重要なメッセージになる。テストで点数をつけること、あるいは成績をつけることは明確に良い取り組みとそうではない取り組みの存在を生徒に伝え、取り組む生徒に良い取り組みを目指すよう促す効果がある。さらに、学校において先生が明示的に伝えなかったとしても潜在的に伝わる価値観や規範がある。ヒドゥン・カリキュラムと呼ばれるこうした価値観や規範の体系には、先生をはじめとした大人自身が持っている規範や価値観が図らずも色濃く反映されてしまうのだ。そういう意味では大人がなにを大切にしてこれから教育の現場に関わるのかはとっても重要になる。
大人自身が学び続けること、その姿を見て、生徒が学ぶ喜びを感じ、彼らが学び続ける大人となっていくこと。それこそがこれからの時代に本当に求められるキャリア教育なのではないだろうか。それが、冒頭に引用した神戸女学院大学の広告にも表れている。変化の激しい時代に自由を謳歌するために、学ぶのである。こうした「学ぶ意欲」の芽生えこそを評価できるキャリア教育を考えていく必要があるのではないだろうか。
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