モンゴルの未来を担う青年
10月1日。午後13時、人口9万5000人のモンゴル第三の都市エルデネトからウランバートル行きのバスに搭乗。エルデネトは銅鉱脈の発見により1970年代にソ連邦の全面的技術支援を受けて鉱山開発が始まり、同時に建設された企業城下町である。
現在でもモンゴル・ロシア合弁の鉱山会社は銅鉱石、モリブデン、レアメタルを産出する巨大企業である。エルデネトにはロシア人技術者と家族が多数居住しておりシベリアの都市のような雰囲気である。
バスは草原に真直ぐに延びるアスファルト舗装の道路を東に向かって静かに疾走している。午後5時頃に夕食休憩から戻ると隣席の青年が「ハロー」と挨拶した。彼、クレル君はエルデネト出身の23歳、現在ウランバートルで仕事をしている。
彼の経歴を聞いてモンゴルとロシアの関係が次第に理解できてきた。クレルの父親はエルデネト鉱山会社の職員であった。クレルが子供の頃エルデネトには、現在よりも更に多くのロシア人家族が居住しており、ロシア人子女のために小中高11年生のロシア語学校があった。
父親の勧めでクレルはロシア語学校で小学校から通算11年学んで、さらにシベリアのトムスク大学に進学した。従ってロシア語のネイティブスピーカーである。ちなみに愛読書はドフトエフスキー。当然ロシア語原文で読む。19世紀の古いロシア語なので若干読み難いが逆に面白いという。さらにトムスク大学で国際関係論を専攻。クリルが流暢な英語を話す理由が分かった。
当時のエルデネトのロシア語学校にはロシア国内から優秀な教員が派遣されてきたので、教育水準はモスクワと変わらないレベルであったという。トムスク大学は後でネット検索したら、1888年にシベリアで最初に設立された帝国大学であり、ロシアでも9番目の帝国大学という名門大学だ。
クレル青年の遊牧民としてのDNA
クレルは長身で外見はスマートであるが、大きな荷物を軽々と片手で持ち上げて歩いており頑健な身体能力を持っている。聞くと彼の父親は元来モンゴル北端のフブスグル湖付近の出身で祖父は遊牧民である。
子供の頃祖父から馬を誕生日祝いに贈られて学校の休暇のたびに、祖父が遊牧している草原に出かけて家族全員で馬に乗って遊んでいたという。
モンゴルの旧国営大手企業
クレルは大学卒業後に現在勤務している大手企業に就職。この会社は旧国営企業であったが、ソ連邦崩壊後のモンゴルの民主化の過程で当時の経営幹部が民営化の名の下で“乗っ取り”(takeover)、現在に至っているという。クレルは“スマートに断固と強奪する”(smart and strong and snatch)のが経営者になるための資質のようだと笑った。モンゴルは民営化のプロセスもロシアに見習って強奪資本主義を実践してオリガルヒ(origalch)を形成していったようである。
エリートの新入社員時代
クレルは大手企業の対外部門で中国以外の顧客との交渉を担当している。23歳の彼がロシア、欧米、日本、韓国など顧客のアカウントを持っていることに驚いた。日本の企業ではアシスタント業務から始めるのが一般的であろう。
時差の関係で、毎日夕刻は欧州企業との電話応対に追われるが、残業は1時間に抑えている。ロシア以外の顧客は英文コレポンをメールで遣り取りして最終的に契約書をまとめるという。大学時代に英語ビジネス文書を勉強したので余り手間取ることはないという。
日本企業であれば海外部門の30代半ばの中堅社員が毎日遅くまで残業しながらこなす水準の仕事をしているようである。
現在のモンゴルでは大手企業では週休2日制が定着しているが、ロシアでは未だに土曜日はフルタイムだそうだ。土曜日を休日や半ドンにすると労働者がウオッカで泥酔する恐れがあるという為政者の親心的配慮によるものとクレルは解説。