日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2019年4月30日

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早川友久 (はやかわ・ともひさ)

李登輝 元台湾総統 秘書

1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。

李登輝の訪米を可決したアメリカ議会の底力

 李登輝が推し進める台湾の民主化に世界の注目が集まっていたさなかの1995年4月上旬、李登輝のもとを米コーネル大学学長のフランク・ローズが訪れた。大学が傑出した卒業生である李登輝の名を冠した講座を開設するにあたり、記念式典への出席と講演を要請するためだった。

 現役の台湾総統が訪米するなど前代未聞である。実現すれば中国の大きな反発を招くことは容易に想像できた。それでもなお、ローズ学長をはじめ大学側が自分の招請に踏み切ったわけを李登輝自身はこう分析している。

「米国は民主主義を重視する社会だ。良くも悪くも、他国に対しても民主主義制度を持つべきだと考えているところがある。仮に私が訪米したら何を話すか。台湾の民主化について話すに決まってるんだ。当時、台湾の民主化は相当な水準まで進んでいた。それを彼らは話させたいということなんだ」

 総統選挙が翌年に迫っていたが、李登輝によれば決して選挙のために訪米を決めたわけではないという。台湾の国際的な地位が低い状況のなかで、自身が提唱した「現実外交」に沿って、どんなやり方であろうとチャンスさえあれば出向き、相手国との関係を築く。こうした考え方をベースに、訪米を決断したというのだ。

 李登輝が訪米の招請を受諾し、準備を始めると徐々にその情報が伝わり出した。中国は再三にわたり抗議活動を展開した。米国は当時、中国寄りとされる民主党のクリントン政権だったため、当初はコーネル大学が進めた李登輝招請に難色を示したとされる。

 ところが、李登輝の訪米を支持する決議が上下院の絶大な支持のもとで可決されたため、クリントン大統領も同意せざるを得なくなった。

 当時の米中関係は決して悪くなく、良好な関係を維持し続けることは米国にとっても国益に適うはずだったが、米国の民意が台湾の民主化を無血で成し遂げつつあった李登輝の訪米を優先させたのだ。

 李登輝も当時を思い出してこう語る。

「議会の力というのはすごい。私を訪米させるために投票までやったんだ。訪米したときは上院議長がわざわざ出迎えてくれたし、議員が何人も会いに来てくれた」

 結果的に、中国の圧力や、議会での議決などもあり、この95年6月の李登輝訪米は国際社会で大きな注目を浴びることとなった。

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