台湾の民主化を恐れた中国の反応
1988年、蒋経国の急逝を受けて総統に就任した李登輝だったが、社会の安定を損なわないよう、蒋経国路線を継承するとしながらも、台湾を少しずつ民主化の方向へと進めてきた。
また、それまで台湾の中華民国と大陸の中華人民共和国は、自分たちこそが中国の正統な政府という主張を崩していなかった。中華民国からすれば、中国大陸は「共産党に奪われた領土」であり、いつかは大陸を取り戻すというスローガン「反攻大陸」が国是とされていたのだ。
それゆえ、中華民国の統治範囲は台湾にしか及んでいないのに、90年代に市販されていた「中華民国全図」では、中国大陸全土が国土として描かれていたという。ちなみに当時の地図は現在「復刻」されて、記念品として売られている。
こうした状況に変化をもたらしたのもまた李登輝だった。1991年、李登輝は「中華民国(台湾)と中華人民共和国は内戦中」と規定した、いわば国家総動員法の「動員戡乱時期臨時条款」を撤廃した。李登輝からすれば、いつまでも実現可能性がないに等しい「中国大陸奪還の夢」にこだわって国力を浪費するのをやめ、あらゆる資源を台湾へ集中させようという意図であった。
もちろん、そこには「中国大陸は中華人民共和国が有効に統治しているのを認める。だから、台湾は中華民国が統治してやっていく」と宣言する意図もあったのだが、それが中華人民共和国の逆鱗に触れた。「台湾の民主化=台湾の独立」に繋がる、と捉えられたのである。
そこで中国は諸外国に対し、盛んに「李登輝を国家元首として接遇してはならぬ」と圧力をかけ続けていたのだ。