2024年4月19日(金)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2019年8月28日

 英国のEU離脱(Brexit)をめぐる最大の難問の一つは北アイルランド問題である。メイ前首相とEUとの離脱協定が議会での承認を得られず、メイ内閣の退陣にまで至ったのも、北アイルランドについての「バックストップ」が大きな原因である。バックストップ条項は、北アイルランドとアイルランドとの間に物理的な国境を復活させないために、2020年末までに物理的国境を回避する代替的な取り決めが見つかるまで英国全体が事実上EUの関税同盟にとどまる、英国とEU双方が合意しなければバックストップからは脱却できない、としている。これではEUからの離脱とは言えないということで、離脱強硬派はバックストップに強く反対している。

RomoloTavani/BrasilNut1/iStock/Getty Images Plus

 離脱強硬派のボリス・ジョンソン新首相は、バックストップの廃止を求めてEUと睨み合っている。9月29日-10月2日の保守党大会の前にブリュッセルを訪れることはないようである。そうであれば、10月17-18日のEU首脳会議がいきなり対決の場となる。どちらが先にハンドルを切るかのチキンゲームである。no-deal Brexit(合意なき離脱)の可能性が高まっている。

 ジョンソンは「メイが交渉した離脱協定は議会で3度否決されたのだから最早死んだのだ。従って、バックストップは離脱協定から削除されねばならない」と主張している。この議論には理屈がある。しかし、ジョンソンはベルファスト合意にコミットしているとも言っている。ベルファスト合意は、IRAによるテロを含む悲惨な流血の事態をもたらしていた北アイルランド問題を終結させるべく、英国とアイルランドとの間で1998年に結ばれた和平合意である。この合意を守るのであれば、アイルランド国境を引き続き恰も存在しないもののように維持することが不可欠であり、そのための工夫が必要となる。目下双方が合意し得た唯一の工夫がバックストップの方式であり、それ故に、離脱協定に書き込まれているのである。ジョンソンは「no-deal Brexitでもハードな国境にはしない」と言っている。しかし、一方的にそのように言ってみても、意味はない。EUがその域外国境の一部に穴が開くと判断すれば、アイルランドはその意に反してハードな国境の復活を強いられるであろう。

 7月31日、ジョンソンは北アイルランドを訪問した。シン・フェイン党(アイルランドとの統合を目指すカトリック系のナショナリストの最大の政党)の党首メアリー・マクドナルドとも会談した。彼女はジョンソンにno-deal Brexitの場合にはアイルランドとの統合の可否を問う投票(border poll)を行うよう要求した。彼女は「英国は北アイルランドをどうやって無理矢理EUから引き剥がすのか。澄ました顔をして我々には我々の将来を決める機会が与えられないようなことを言っているが、全く恥ずべきことだ」とBBCに述べている。シン・フェイン党は北アイルランドがEUの中で特別の地位を認められ、アイルランドと共にEUに残留することを原則的な立場としており、マクドナルドの反撥は当然であるが、投票に現実の可能性がある訳ではない。

 それよりも、もっと現実味のある問題は、no-deal Brexitとなれば、北アイルランドに対するロンドンの直接統治を復活せざるを得ないだろうということである。北アイルランドでは、ベルファスト合意に基づき、北アイルランド自治政府の行政権はユニオニストとナショナリストが権力を共有する仕組みとされている。即ち、首席大臣と副首席大臣が同等の責任を有し、共同して行政権を行使する。ユニオニストとナショナリストの北アイルランド議会における多数の方の最大政党が首席大臣、他方の最大政党が副首席大臣を指名し議会の承認を得ることとなっている。ところが、DUP(北アイルランドの連合王国への帰属維持を求めるユニオニストの政党。保守党政権に閣外協力)の党首で首席大臣のフォスターがビジネス担当相時代に始めた再生エネルギー普及プロジェックトに係わる法外な政府負担というスキャンダルが発覚し、DUPとシン・フェイン党が対立、2017年1月にシン・フェイン党のマクギネスが副首席大臣を辞任したことで自治政府が崩壊した。

 no-deal Brexitに伴って予想される混乱に際し、自治政府不在という訳にはいかず、ジョンソンとしては議会で立法をもってロンドンによる直接統治を復活させざるを得ないであろう。そのこと自体、議会で僅か1票の差で多数を維持するジョンソンにとって政治的に困難なプロセスとなろう。

 そして、直接統治となれば、ユニオニストのDUPと組む政権に不信感を抱くシン・フェイン党をはじめナショナリストは憤激することになるであろう。アイルランドとの統合の可否を問う投票を要求する声が高まるであろう。北アイルランドにおける暴力の再燃が懸念される事態となるかも知れない。

  
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