オモロイ社長、オモロイ会社

2019年10月29日

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杉浦佳浩 (すぎうら・よしひろ)

代表世話人株式会社代表

三洋証券株式会社入社(昭和62年)。鹿児島支店にて勤務。地元中小企業、個人富裕層の開拓を実施。 日経平均最高値の2カ月前に退職。次に日本一給与が高いと噂の某電機メーカーに転職。埼玉県浦和にて、大手自動車メーカー、菓子メーカー、 部品メーカー等の主力工場を担当。 退職時は、職場全員から胴上げ。そして、某保険会社に20数年勤務後、平成26年末に退社。在社中は、営業職、マネジメント職を経験して、リテール営業推進、若手人財育成を中心に担当していた。 社外の活動も活発に行っていた。平成27年1月1日、代表世話人株式会社を設立。
同社代表取締役に就任。世話人業をスタート。

 スタートアップ界隈でも「食」にフォーカスした起業、その後には上場企業が出現し始めました。この食のあり方、流通のあり方に問題意識を持ち3年前(2016年11月)20代半ばで起業し、年中自社サービスのTシャツを来て全国を奔走しているビビッドガーデンの代表取締役秋元里奈さんに起業の経緯、事業の展開について話を聞きました。

会社メンバー、真ん中が秋元さん

起業への道のり 内向的、病弱、でも負けず嫌いだった子供時代

 秋元さんの育った地元は関東近郊でありながらもまだ農地のあるエリア、実家も祖父の代まで農業を営んでいたそうです。子供の頃から、実家や周辺で採れる新鮮な四季折々の野菜を食べ育ち、野菜本来の美味しさを理解していると話します。実家の農地には、近隣の小学生たちが農業体験に訪れるような場面もあったそうで誇らしく思っていました。ただ、実家での会話は「農業は儲からない、農業はやらなくていい、公務員を目指しなさい」と、何度となく言われて育ったそうです。思い起こせばこの「農業は儲からない」という言葉がずっと心に引っかかっていたそうです。

リーダーシップの目覚め〜転機となった学生時代

秋元さん

 負けず嫌いの性格から、人から言われたことは徹夜もいとわず頑張ることができたと話す、秋元さん。一方でやりたいことが見つけることができないこと、そこにコンプレックスも持っていたそうです。家族からの農業はダメということもあり、一旦農業のことは忘れて、経済のことを学びたいと金融工学の世界を勉強するために慶応大学の理工学部へ。

 転機となったのが学園祭。人前に出るのが苦手だったそうですが、学園祭実行委員会で、一緒に参加していた同学年メンバーが次々に脱落していき、自身がリーダーを務めざるを得なくなったところから、「どうせやるなら、これまで以上に面白い学園祭にしてやろう、企画しよう」と決心したそうです。そこから自分自身で考えたことを企画、実現、人を巻き込んでいくことの面白さ、楽しさを存分に味わい、今の事業を創造していく部分に活きていると話します。

会社員時代

 自主性、リーダーシップが備わったところから、「自分のアイデアを自分で具現化していくことを楽しみたい、継続していきたいと強く思うようになりました」と感じるようになったところから、就職に関して金融工学を勉強して経済の中心となるところで働きたいと思っていたそうですが、一方で、自分が主体的に動けるようになるまでに何年も時間が必要な大企業でなく、入社後すぐ立ち上がりから仕事に責任やコミットできる会社で働きたい、同時に、厳しい環境、成長できる環境に身を置きたい、そう思うようになっていったそうです。そこで、創業者の想いに共感、触発されてDeNAに入社を決めました。

 入社後、チャレンジングな仕事の毎日、想像以上に成長できたと話す秋元さん。特にDeNAでは「成功確率50%の仕事を委ねる」を社員向けの指針としている部分が大きかったそうで、無謀すぎず、失敗を重ね過ぎたりしないレベルの「50%」。そこをチャンスと捉えて成功に導くことができれば自己成長、自己実現にもつながる、このような職場環境にいれたことで、実力以上の仕事、ハードルの高い仕事に対してじっくり向き合いながらもワクワクが止まらなかったそうです。

 会社員時代の3年半で4つの部署を経験、営業、サイトの企画、新規事業の立ち上げを経験。中でも新規事業に携わっている際に、そのサービスの事業企画、営業を任され、収益の見込み算定、ディレクション、自身でのテレアポ、広告提案等々ありとあらゆることに取り組めたこと、がむしゃらに仕事に向き合った時が一番成長の実感があったそうです。起業家への一歩の経験がこの時に体感できたと話します。

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