幼稚園・保育園、スポーツ団体等、子どもの写真を保護者に届けるサービスとして現在、年間100万世帯のユーザーを抱える会社「千」(サービス名「はいチーズ!」)。その千葉伸明社長に、最初の起業の失敗、そこからどう立ち直って、現在国内シェアトップ(自社調べ)の事業を確立してきたか、また、写真を通じて子どもや保護者の笑顔を創出する事業に行き着いたか、お伝えしたいと思います。
アマゾンもびっくり、ITと労働集約を掛け合わせる
昨年、米国アマゾン本社のAIの責任者が同社に訪問する機会があったそうです。それはアマゾンの顔認証のAIを日本市場で非常に多く使用していることが判明したことによるものでした。「はいチーズ!」では、顔検索機能を充実することで、購入者側の手間を省き、利便性を向上させています。
幼稚園、保育園の先生が今まで行っていた、アナログ作業(写真仕分け、展示、プリント、集金、配布等々)が、ITを導入したことで、手間が掛からなくなり、この負担軽減が現場から評価されているそうです。
現在は6000団体へカメラマンを派遣し「写真・動画」とITを組み合わせ、購入者の「記憶」領域へアプローチし、たくさんの笑顔やコミュニケーションの創出場面に立ち会っています。
大学に行っても起業、経営者になる勉強は教えてもらえないよ
千葉さんは現在39歳で、親族、親戚ほとんど全員が経営者一族です。警備会社、地方メディア、事業会社とさまざまな事業を営んでいるそうで、小さな頃から事業家になることは「当たり前」として育ちました。もうひとつ没頭していたのが、サッカーでした。自身を「サッカー馬鹿」だったというくらいです。高校時代サッカーのクラブチームに所属している時に、大学生の先輩に、「自分は起業家・事業家になります!」と話していたそうで、その先輩から「大学に入っても、起業や経営者になるための勉強は教えてもらえないよ」と言われて、「そうか、じゃすぐ働きながら、力を付けて起業の準備をしよう」と、あっさり進学する選択はしなかったそうです。
サッカーで身を立てようと淡い期待もあったのですが、本格的に企業家の道を歩もうと覚悟を決めたのもこの先輩からの一言を貰った頃と話します。その頃に経営者の道に向かう大きな力を千葉さんに与えたのが、1972年に発売されていた『ユダヤの商法-世界経済を動かす』(藤田田)だったそうで、戦後日本が元気だった頃の話、世界の経済の流れ、日本の総合商社が世界を動かしているカッコ良さから、「日本人はまだまだやれる!」と思ったそうです。
起業資金を貯めるために、高額給の可能性があるフルコミッションの世界に
起業するぞ! と決めていても起業資金もなく、事業目的も明確でなかった18歳。まずは起業資金作りに電話営業のフルコミッションの会社に入社。ここで味わったのが大きな挫折でした。
毎日より多くの業務に取り組むため残業も進んで行い、休みなく働きましたが、3カ月間全く契約を獲得できず、生活も困窮するほどでした。高校時代のアルバイトで貯めていたお金も底をついて、睡眠時間3時間、会社終わりからコンビニでバイト、期限切れの弁当を食べ食費を抑え、休憩中など隙があればビジネス本を読んで一生懸命ビジネス知識を学んだそうです。
朝5時には会社に行き終電で帰る毎日そしてバイト、そのパッションは? 小さな頃からお父さんに「若い頃は2時間寝れば大丈夫」と言われて育ったから、と笑顔で話します。周りの同僚の2倍以上の量と、電話セールスの質の向上、この努力が結果に繋がり、入社4〜5カ月目には常にトップの成績になっていったそうです。
友人を誘っての起業、上司の裏切り
数百万の貯蓄が出来、その資金で起業の道へ。20歳まで前述の会社で頑張った千葉さん。そろそろ起業へという頃に、一回り年上の上司から一緒に会社やろうと声が掛かります。法人の登記上代表者は千葉さんでしたが、名刺の肩書は部長や課長代行。年齢が高い者が社長の方がお客様が安心すると考え、上司が名刺上は社長に。 そのため、法人の実印や通帳、会社の重要な書面も上司を信じ切っていたこともあり、全てを預けてるように。
同級生や友人に声を掛けて、一緒に会社やろう! と、気付けば7人体制に。営業系の仕事で毎日寸暇を惜しんで頑張り実績も積み上がって来た頃、同僚から「会社やばくない?」「資金繰り大変なんだよね?」と声が上がり始めます。
「これだけ実績があるのだから何を言ってんの?」と問いただすと、「上司が、会社の経営が大変だから、会社メンバーに消費者金融でカード作って来てよ、と言われてカードと暗証番号を伝えたよ」との報告。
慌てて、任せていた管理系の棚や書類を見てみると、以前上司が起業していた会社の借金返済に、会社の売上や同僚の個人ローンが充当されていることが判明、上司はそのまま雲隠れ、会社は解散ということに。