――日本代表はW杯で全敗した監督が辞任し、代表チームも解散という繰り返しで、本来引き継がれるべきものや、積み重ねるべきものがないままに一からのスタートを繰り返した感がありますね。それゆえ時間がなく、準備不足のまま次のW杯に入ってしまうという悪い流れができてしまったのでしょうか。
時間がないといえばエリサルドの次のHCに就任したジョン・カーワンです。この方はまさにニュージーランド・オールブラックスのレジェンドです。解任劇が続いた日本代表に一筋の光が差したような気がしました。僕はこのころ日本ラグビーフットボール協会とプロ契約を結んだのですが、その条件の中に日本代表の支援が含まれていましたので、カーワンジャパン発足と同時にバックルームスタッフとして加わることになりました。主な役割は海外の情報収集と分析での黒子業務でした。
――カーワンジャパンになって何が変わりましたか。
コーチングスタッフに外国人が増えたことです。これで一気に代表組織がインターナショナルレベルに高まっていきました。それと同時に選手にも外国人が増えて「これでいいのか日本代表?」「日本人をもっと使え」みたいな批判も多く、カーワンは苦しむようになりました。
カーワン就任の翌07年に第6回W杯ですから時間がありません。結果なんて出せるはずもなく日本代表は初戦のオーストラリアに「3-91」、続くフィジーには「31-35」と僅差で敗れ、ウェールズには「18-72」で、かろうじてカナダとは「12-12」で引き分けました。第2回大会から勝利のなかった日本代表には意味のあるものでした。