2024年12月23日(月)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2020年3月4日

 2月11日、フィリピンは、米国と1998年に締結した「訪問軍地位協定(VFA : Visiting Forces Agreement)」の破棄を、米国に通告した。この協定は、通告から180日後に破棄されることになっている。もしそうなれば、1951年から続く米比相互防衛条約や2014 年の米比防衛協力強化協定などは骨抜きにされ、米比同盟は揺らぐことになりかねない。その結果、このインド太平洋地域の安全保障環境は著しく不安定化する。

Anastasiia_Guseva/iStock / Getty Images Plus

 1998年の「訪問軍地位協定」は、米軍がフィリピン国内やフィリピン沖に展開して、両国で多くの合同軍事演習を行うことを可能としてきた。フィリピンが中国と領有権争いをしている南シナ海での米比共同パトロールも、その一環である。

 そもそも、米ソ冷戦終結後、米軍がフィリピンのクラーク空軍基地やスービック空軍基地から撤退をして、この地域に力の真空が出来てしまった所に入って来たのが中国である。クリントン政権下の防衛費削減もあり、1995年から米比合同演習が行われなくなったが、1998年のVFAの締結により、1999年から合同演習が再開できるようになった。

 それでも、経済成長し軍事大国化した中国は、南シナ海のスプラトリー諸島等の領有権を主張するのみならず、そこに人工島を建設し、軍事化までしている。

 「自由で開かれた」インド太平洋地域を維持するため、そしてフィリピン防衛にとっても米国のプレゼンスは不可欠である。その意味で、今回のフィリピンによるVFA破棄通告は、大きな問題である。

 フィリピンのドゥテルテ大統領は、就任以来、米国に対する不満を時に口にしてきたが、行動に出たのは恐らくこれが初めてであろう。国防相も外相も寝耳に水だったらしい。相互防衛条約が存在し続けても、フィリピンに派遣される米軍の地位を規定する訪問軍協定がなければ、米軍は合同軍事演習などの活動をフィリピンで行い得ず、両国の協力の基盤は失われる。マニラの米国大使館は、2月11日に廃棄通告を受領したことを確認したが、「米比同盟に重大な意味を持つ深刻な一歩」との見解を表明した。廃棄通告が効力を発するのは 180 日後であるので、この間に協定を救済する必要がある。

 ドゥテルテの決定の引き金になったのは、彼の麻薬撲滅作戦に関わる人権侵害が米国議会で問題とされたことにある。昨年12月中旬、トランプ大統領の署名を得て国務省関連の歳出法案が成立したが、その中に、レイラ・デリマ上院議員の投獄(彼女はドゥテルテ批判の急先鋒だったが、麻薬取引に関与したとの怪しげな容疑で 2017年2月以来拘束されている)に関わった人物の米国入国を禁ずる趣旨の規定が含まれていた。

 これに憤慨したのがドゥテルテ大統領で、12月27日、フィリピン大統領府の報道官は、もしこの規定が実際に発動されるのであれば、フィリピンは米国民に対するビザなし渡航の制度(30日間のビザなし渡航が認められている)を停止すると表明した。同時に、この制裁条項を提案した 2人の上院議員(民主党)のフィリピン入国を認めないと言明した。

 次いで、2020年1月中旬に至り、フィリピンのロナルド・デラ・ローザ上院議員の米国ビザを国務省が無効としたこと(これが上記の制裁条項を根拠とするものか否かは判然としない)が判明するに及び、ドゥテルテは、訪問軍協定の破棄を警告したが、2月11日、実際に破棄通告を行うこととなった。以上のように、ドゥテルテの行動は、戦略的な計算に基づくものではなく、米国の人権を理由とした制裁的措置に反発して報復に及んだものである。

 確かに、ドゥテルテの行動には問題が多い。彼の麻薬撲滅作戦に伴う人権侵害には問題がある。レイラ・デリマの拘束も怪しげである。Human Rights Watch は、ロナルド・デラ・ローザのビザ無効化を、国務省の姿勢の転換として歓迎している。この措置は、マグニツキー法の趣旨とも整合的だとの見解もあるらしい。(マグニツキー法は、ロシア人権弁護士セルゲイ・マグニツキーの獄中死をきっかけに 2012年に制定され、人権侵害を行ったと判断されたロシア人へのビザ発給禁止や資産凍結を定めたもの。米国議会は、2016年12月、ロシアに限らずすべての国の人権侵害者が対象となるように、適用範囲を拡大した。)

 しかし、上院議員の個人的関係のために、米国とフィリピンの同盟関係という枢要な枠組みが危機に晒されるというのは如何にも馬鹿げている。国務省がどういう状況判断でロナルド・デラ・ローザのビザの無効化に踏切ったのかも分からない。国務省にはもう少し巧みにドゥテルテに対する工夫が求められるように思われる。

 3月4日には、ラスベガスで米国と ASEAN の首脳会議が予定されているが、ドゥテルテは出席しないとの報道がある。どういう話し合いの糸口があるのか分からないが、米国は訪問軍協定を救済する必要がある。フィリピンもより戦略的に自国利益を考えることが大事だろう。米国の同盟国であり、フィリピンとも友好関係を保っている日本に、何か役割はあるのだろうか。難問ではあるが、インド太平洋地域の平和と安定のためには、VFAが維持されることを望むばかりである。

  
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