2024年11月24日(日)

故郷のメディアはいま

2012年7月11日

毎日東京から飛行機で送られるフィルム

 54年10月AMラジオ局としてスタートした琉球放送(RBC)がテレビ放送を始めたのは60年だ。同年7月にはラジオ沖縄(ROK)が開局。また2月には、2年前に英語放送を開始した極東放送(KSAB=現在のFM沖縄)が日本語放送を始めている。

 ラジオ・テレビが次々と放送を始める中、テレビ放送の大動脈ともいえるマイクロ回線が開通するのは64年9月。それまではOTV、RBCとも、毎日東京から飛行機で送られて来るフィルムと生の視聴者参加型自社制作番組で、何とかタイムテーブルを満たしていた。

NHKの進出

 マイクロ回線の開通と同時に、NHKの番組が沖縄に進出する。とはいっても、民間のOTVやRBCを通じた変則的ネットであった。具体的には、民放2局がマイクロ回線を使用しない時間に、NHKから番組を送ってもらい那覇でビデオ収録、それから視聴者に提供するという方法である。

大河ドラマ、朝の連続テレビ小説、
紅白歌合戦…続々と放送

 OTVの編成表には、『ブーフーウー』『ひょっこりひょうたん島』などの子ども向け番組、『事件記者』を始めとするドラマ、『お笑い3人組』『夢であいましょう』等のバラエティ番組が並んだ。『テレビはじまりや』(前出)はこう書く。

 〈本土ではスポンサードプロとしてまず提供できない番組だけに、各企業ともかなり食指を動かされたようだった。日曜夜の(大河ドラマ)『太閤記』には松下電器(現在のパナソニック)が、朝の連続テレビ小説『おはなはん』には味の素という風に、弱電メーカーや食品、化粧品、薬品関係がスポンサーになった。また国民的行事といわれる大晦日の『NHK紅白歌合戦』も、64年からスポンサーつきで放送した〉

全国初
現場の放送局長への民間登用

 民放2局のNHK番組放送は、68年12月の沖縄放送協会(OHK)誕生まで続いた。OHKの発足に当たっては、OTV、RBC、ROK民放3社の合併が浮上した。OHK初代会長に就任したRBC常務・川平朝清が民放の買収を打ち上げたのだが、民放3社の反応は冷めたものだった。結局民放の整理統合劇は不発に終わった。


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