WEDGE REPORT

2020年12月3日

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金子熊夫 (かねこ・くまお)

外交評論家・元外交官

1937年生まれ。ハーバード大学法科大学院卒。外務省で初代原子力課長、国連環境計画アジア太平洋地域代表などを歴任。退官後、東海大学教授(国際政治学)。現在、エネルギー戦略研究会会長を務める。主著に『小池・小泉「脱原発」のウソ』(飛鳥新社)、「日本の核 アジアの核」(朝日新聞社)。
 

 

石油ショックで一気に形勢逆転、原子力推進派に宗旨替え

(前篇はこちら)

 最初の勤務地はジュネーヴで、4年任期で、張り切って新しい仕事に熱中していた矢先、1973年10月の第4次中東戦争の勃発で、第1次「石油危機」が起こり、世界の形勢が文字通り一変した。ちょうどモーリス・ストロングUNEP事務局長(初代、カナダ出身、故人)に随行してジュネーヴからロンドンへ飛ぶ機内で第一報を得たが、その瞬間、「あ、これで環境問題は終わった」と直感した。

 事実、ストックホルム会議で折角高まった世界的な環境ブームは、風船のようにあっという間に萎んでしまった。環境問題は所詮、「衣食足りて礼節を知る」ようなところがあって、平時には持て囃されるが、一旦緩急の時は余裕がなくなり、目前の生活優先で、忘れ去られる運命にある。歓呼の声に送られて勇んで国連に出向した筆者は、二階に上がった直後にまんまと梯子を外されたようなものだった。

 その直後世界各国を回り、久しぶりに日本に帰ってきて、目にしたものは石油の供給を断たれて、見る影もなく落ち込んだ祖国の姿であった。銀座からはネオンサインがすっかり消えていた。この時ほど無資源国の悲哀を味わったことはない。ベトナム戦争の「テト攻勢」の時とは違った強烈なショックであった。そして、これが今日まで半世紀にわたって筆者が、普通の外交官稼業から外れて、全く畑違いのエネルギーや原子力問題にかかわる契機となった、いわば原体験である。

石油危機のためクリスマスデコレーションのネオンも消え、めっきり暗くなった銀座4丁目 (NIKKAN SPORTS NEWS/AFLO)

 こうした次第で、筆者は環境問題と環境保護運動の第一線から撤退して、エネルギー問題、とりわけ「脱石油」のエースとしての原子力推進に宗旨替えをしたわけだ。その後1970年代半ばに外務省に復帰し、初代の原子力課長として日米原子力協定交渉などの大仕事に没頭した。退官後は、一時原子力から離れかけたが、3・11事故で、国内の原子力問題にも深く関わるようになってしまった。途中で原子力から足を洗い戦線離脱するわけにもいかず、現在もその状態が続いている。

 その結果当然ながら、昔ベトナム反戦で共闘した内外の友人たちや、環境運動で一緒に汗を流した同志たち(その中には現在の反原発市民運動の元祖的な故人たちが少なからず含まれていた)とは袂を分かってしまったが、顧みて後悔はしていない。方法論は違っても、同じ世界のため、日本のために最善を尽くしたいという、いささか青臭い気持ちにおいてはお互いに共通しているはずで、そうであれば、将来的には理解し合って、再び共闘する可能性もあるのではないかと思っているからである。

捕鯨外交失敗の原因と教訓

 さて、環境問題に触れたついでに、もう一つ個人的な体験談を記しておきたい。

 先述のストックホルム会議でのこと。政府代表団の最終打ち合わせを終わって、いよいよ東京を出発する僅か10日ほど前になって突然出先大使から、ストックホルムで商業捕鯨禁止決議案が審議される予定になっているらしいとの驚くべき情報が飛び込んできた。捕鯨は第二次世界大戦直後から、ロンドンに本部を置く国際捕鯨委員会(IWC)の専管事項だから、いくら何でも、ストックホルムで取り上げられるはずがないと思い込んでいたので、びっくり仰天。仮に取り上げる動きがあっても、簡単に潰せると思っていた。

 ところが、ストックホルムに到着してまたびっくり。市内のあちこちで、国際NGOが、巨大な鯨の張りぼてと、これを銛で殺そうとしている日本人らしき捕鯨手を山車(だし)のように引き回しているではないか。日本の商業捕鯨に対する露骨な抗議活動であることは一目瞭然。代表団の中には捕鯨の専門家はいなかったので、ローマの国連食糧農業機関(FAO)に出向していた水産庁の専門家を急遽呼び寄せたものの、すでに欧米の代表団やNGOが周到に手を打ってしまったあとで、どうしようもない。

 翌日から開会された野生動物保護担当の第二委員会では、我が方の抵抗もむなしく、米国等の提案の「商業捕鯨の10年間モラトリアム(一時停止)」決議案が賛成51、反対3(日本、南アフリカ、ブラジル)、棄権12の歴史的大差で採択されてしまった(その時、筆者の脳裏には、国際連盟時代、満州問題で大敗を喫した日本外交の悪夢が一瞬浮かんだ)。この決議がまさにその後現在まで続く日本の捕鯨外交苦戦の発端となったのだ。

 環境会議は本来、主として水俣病のような汚染・公害問題を議論する会議だから捕鯨のような特殊な問題は扱うはずがないという思い込み、油断が敗因だった(そのため、わざわざ日本から同行してもらった水俣病患者さんたちは空振りに終わってしまった)。

 逆に言えば、捕鯨問題を従来のIWCのような漁業専門機関ではなく、新しい環境問題というジャンルで取り上げ、「クジラ=環境保護のシンボル」に仕立て上げた相手側の完全な作戦勝ちだったということだ。

 実は、後から非公式に得た情報によると、米国政府(当時大統領はニクソン氏、国務長官はキッシンジャー氏。ともに稀代の策士)は、ベトナム戦争の枯葉作戦などで傷ついたアメリカのイメージ改善を図るために、反戦派の関心を捕鯨問題に仕向け、日本を代わりの「悪者」にしようと目論んだらしいということだった。これは決して単なる陰謀論ではない。

環境外交の難しさとその舞台裏

 事実、ストックホルム会議が終わって間もなくパリで米越のベトナム和平交渉が始まり、戦闘もやや下火になったため、世界の反戦派=反体制派は、反戦から次第に捕鯨問題を含む環境・自然保護に活動目的をシフトして行った。そして、それがさらにオイルショック(74年)後反原発運動へ変質して行ったと見ることができる。

 実は、こうした政治的構図、つまり、こちらが油断していると嵌められるパターンは、他の場面でもしばしば見られることだ。それは、当時、世界第二の経済大国として幅を利かせていた日本に対する西欧諸国のジェラシーによる陰湿な「嫌がらせ」だったとも言えるし、日本は何かと「スケープゴート」化されやすく、うっかりしていると「ババ抜き」をさせられる傾向があるようだ。

 90年代から徐々に盛り上がった地球温暖化(気候変動)問題の場合もまさに同類であると思う。

 一例を挙げれば、1997年のCOP3で京都議定書の交渉が行われた時、温室効果ガス排出量の基準年を90年とし、その水準から日本は6%削減の義務を負ってしまった。わが国の場合、産業界の必死の省エネ努力等によって、90年までに、すでに相当の二酸化炭素排出量削減を実現していたのだ。つまり、濡れた雑巾を絞り切った後だったので、以後さらに温室効果ガスを削減するためには多大なコストを要した。これに対して、90年に東西統一したドイツは、経済的に遅れた東独の実績を基準に出来たので、比較的甘い規制で済んだわけだ。

 つまり、基準年の決め方ひとつで、実質的な国際義務が有利にも不利にもなるわけで、舞台裏での外交交渉や駆け引きが激しくなる。油断していると「貧乏くじ」を引かされるのは、ストックホルム会議の捕鯨問題の場合と似ていると思う。

 筆者は、だから日本政府は現在COP26を控えて温室効果ガス排出目標をなるべく緩く設定せよと言っているのではない。これまでの「周回遅れ」という酷評を返上して、できるだけ厳しい規制を率先して引き受けるべきだと思うが、決して周囲のムードに踊らされて、結果的に自らの首を締め、後になって不履行を責められるような愚は避けるべきだということだ。現在の交渉担当者には釈迦に説法だろうが、若い政治家やマスコミには特に留意してもらいたいのだ。

「かけがえのない地球」は罪作り?

 日本のマスコミがとかく環境保護や地球温暖化防止を至上視(あたかも憲法9条のように)して、一般国民や政治家を煽る傾向があることについては、実は、筆者にも責任の一端があると考えている。それは、ストックホルム対策用に自ら考案して全国に普及させた例の「かけがえのない地球」というスローガンが、なまじっか名句で、人口に膾炙しやすかったばかりに、全国津々浦々に浸透し、以後半世紀にわたり、日本人がすっかり洗脳されてしまったからではないかと考えるからである。戦時中の「贅沢は敵」とか「欲しがりません、勝つまでは」のように、現在の日本人の深層心理に無意識のうちに大きな影響を与えてしまったのではないか。

 「かけがえのない地球」は「母の日のカーネーション」のようなもので、誰もあらがえない。今では幼稚園児でも知っているそうだが、彼らがそれによって視野を広げ、公徳心を養うのは大変結構。しかし、大の大人までがそれでは困るのだ。正直、このスローガンはちょっと薬が効きすぎたような気もしている。

 このスローガンの創案者として率直に言わせてもらえば、現在の環境外交、気候変動外交は、一般市民が考えているほど高邁なものではなく、実際にはかなり生臭く厄介なもので(数年前に、「クライメートゲイト」なる不可解な出来事もあった)、下手をすると身(国)を誤る元にもなりかねない。「かけがえのない地球」の美名にほだされて、環境保護、温暖化防止には精一杯注力したが、その結果国運は傾いたということにならぬよう、十分心してもらいたい。いささか老婆心が過ぎるように見られるかもしれないが、このことを最後に付言して、再び本論に戻り、結論を述べたい。

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