今回は、人事コンサルティングファーム・トランスラクチャ代表取締役 CEO シニアパートナーで、人事コンサルタントの高柳公一さんに取材を試みた。
高柳さんは1985年に一橋大学商学部を卒業し、世界的なコンサルティングファーム・プライスウォーターハウスコンサルタント社に入社。経営コンサルタントとして大企業、外資系企業の業務改善、IT戦略立案、人材開発のプロジェクトに関わる。
その後、1988年から1990年までアメリカのジョージワシントン大学経営大学院(MBA)に留学。修了後、帰国し、1990年に世界規模のコンサルティングファーム・トーマツコンサルティング(現デロイトトーマツコンサルティング)に入社。マネージャーとして組織・人事他、多くの企業のコンサルティングを行う。
2002年から、人事コンサルティングファーム・トランスラクチャの取締役シニアパートナーに。中堅、大企業、外資系企業の人事分析、人事制度設計などに携わる。2020年に、代表取締役 CEO シニアパートナーに就任。
高柳さんにとって「使えない上司、使えない部下」とは…。
日米の経営スタイルの違いを肌で感じ取り、強い衝撃
「使える、使えない」には、言葉として否定的なニュアンスがあるように感じます。本来、上司と部下は同じ目的を達成しようとするチームなのですが、この言葉からはどちらがいい、悪いと対立しているようにも思えます。
プライスウォーターハウスコンサルタント社に入社した当時は、日本に本格的なコンサルティング会社が少なかった頃。周囲の学生は、金融機関や商社に入るケースが多かった。その意味では、少々、変わっていたのかもしれません。当時の上司には様々なタイプの方がいました。アフター5にもう少し仕事をしようと思っていても、お酒に付き合わざるを得ないこともあったのです。職場において当時はそれが一般的だったと思いますが、仕事以外でも職場の人たちとどっぷり付き合う関係を私は個人的にはあまり、好んではいませんでした。
上司とぶつかる? ええ、時々ありました。血気盛でしたから…。「コンサルタントは生意気でないと、成長しない」と言われていますが、実際そのとおりと思います。仕事をめぐり、意見を闘わせることもありました。で、上司は冷静に、きちんと事実を提示して、ロジカルに説得しようしてくれました。そのあたりは、他の平均的な日本企業とは異なるのかもしれませんね。
外資のコンサルティングファームでは、上司に疑問を呈したり、厳しい意見を言うコンサルタントは少なくないと思います。私の周囲には、「なぜ、あの人が役員をしているのですか?」と堂々と経営層に聞いている若手もいました。私も、それに近いことを言っていたかもしれません。
3年程勤務の後、休職し、ジョージワシントン大学経営大学院(MBA)に留学しました。大学在学中からMBAホルダーになることを決めていました。渡航費、2年間の生活費や学費を合わせると、約1000万円。親に借りるなどして工面をしました。
当時は日本でバブル経済が1986年に始まり、数年たった頃。円高の影響もあり、日本企業が積極的に海外に進出していました。1990年に三菱地所がニューヨークのマンハッタンの高層ビル、ロックフェラーセンターを買収した頃です。大学院での講義の1つのテーマは、「日本企業はなぜ、世界の市場を席捲できたのか」。他の国からの留学生や現地のアメリカ人の学生が多数いる中、日本人として鼻が高い思いでした。
夏休みに、ニューヨークのコンサルティングファームで、サマーインターンとして数週間働きました。各プロジェクト達成までの時間やコストが厳密に管理されています。コピー用紙1枚もその対象となります。プロジェクトごとの予算、成果や実績の管理が厳格。日米の経営スタイルやマネジメントの違いを肌で感じ取り、強い衝撃でしたが、そのドライさが、一番、印象に残っています。
MBAの価値? 難しい質問…。それまでとは違う世界に飛び込んでいく。異文化で膨大な量の書物を読む。レポートをたくさん書く。次々とチャレンジし、知的な格闘をしていく。あえて、自分を限界まで追い詰める環境に身を置く。この一連の経験が、大事なのでしょうね。そういう意味では、今の時代にも価値があると私は思います。