2022年12月2日(金)

食の安全 常識・非常識

2021年4月12日

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松永和紀 (まつなが・わき)

科学ジャーナリスト

1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ジャーナリストに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)、『効かない健康食品 危ない天然・自然』(光文社新書)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(同)で科学ジャーナリスト賞受賞。2021年7月より内閣府食品安全委員会委員(非常勤、リスクコミュニケーション担当)。(記事の内容は、所属する組織の見解を示すものではなく、ジャーナリスト個人としての意見に基づきます)

 これまで、農水省は地道で実効性のある施策を展開すべく、手を打ってきたのに、それが無視され、イノベーションと書けばすべてがかなう、という書きぶりになってしまっています。

 日植防でも、以前から化学農薬の省力的・効率的散布に向けた研究を進めてきました。早川理事長は、「これまで慣行的に散布していた化学農薬の使用量を見直し、削減できる部分は削減していくことは重要である」と指摘しています。

 農薬削減に限らず、化学肥料削減や温暖化阻止、気候変動対応、生物多様性保全、持続性維持など、その重要性を否定する人などいないでしょう。関係者は、苦慮しつつ取り組んできましたが、日本が置かれた難しい環境や生産者の高齢化など多くの支障が立ち塞がっているのです。「努力が足りなかった。イノベーションで解決」で済むほど、現実はなまやさしくありません。

 加えて、食料システムの変革には、一般市民・消費者の食生活の変更が不可欠です。肉はおいしい一方、生産の環境負荷が高く、既に肉を潤沢に食べている先進国ではまずは、肉を減らしましょう、というのが環境負荷低減の第一歩となっています。しかし、そのような耳に痛い話は、みどりの戦略案では示されていません。EUの戦略では、その点も触れられているのに、です。

 わかりやすい、実現の見通しがまったくたたない目標を先行させるのではなく、日本の食がどのような構造にあり輸入資源や食品に支えられているのかを示し、化学農薬や化学肥料を減らし気候変動対策等を講じた時に、なににどの程度まで貢献できるのか、一方、どのような犠牲を農業者や消費者が強いられるのかも試算すべきです。どの部分はイノベーションでカバーできるのか、どこから先は食生活の変更や品質・安全性の低い食品の許容、ひんぱんにやってくるかもしれない不作と価格高騰に耐え忍ぶ覚悟など、抜本的な変革を迫られるのかなど全体像を示したうえで、真の「みどりの戦略」を策定すべきではないでしょうか。

 それにしても、どうしてこのような、理念がなく部分最適で惹句だらけの意味不明、全体不最適のみどりの戦略案になってしまったのか。しかも数カ月でいきなりなのか?

 この案は、有機農業を推進してきた人たちからも評判が悪く、日本農業新聞の山田優・特別編集委員はコラムで「即席麺じゃあるまいし、3カ月ぐらいで農政の大転換を決めないでほしい」と書いています。

EUのコピペの意味は……

 農水省でなにが起きているのか。農家出身、『農業ビジネス』編集長で欧米の農業政策にも詳しいジャーナリストの浅川芳裕さんに意見を聞いてみました。

 浅川さんは、「昨年10月に農水省と環境省の間で交わされた覚書がカギではないか」と言います。両省は「農林水産業における2050年CO2ゼロエミッション達成など14の項目について、両大臣間で連携を強化していくことで合意した」と発表しています。浅川さんは、これは農林水産政策ではなく環境政策だ、というのです。

 農地や森林は炭素貯留の重要な方策の一つです。EUでは現在、環境左派が強く、巨額の農業予算がグリーン政策に投じられています。アメリカでは、バイデン大統領が気候変動対策を中心に据えることを宣言し、こちらは農地向けの「カーボン・バンク」構想などに巨額の予算を投じようとしています。

「日本は、予算がなく丸腰で戦わなければいけない。まったくの無力です。しかし、気候変動対策においては欧米並み、というポーズを、今年11月のCOP26などで見せなければならない。そうした官邸と小泉環境大臣の意向が、EUのFarm to Fork戦略のコピペ、日本の農業現場から見ればとんちんかんな案を生み出した。つまり、小泉環境大臣の国際的なパフォーマンスのための気候変動対策が『みどりの食料システム戦略』というわけです。そんな日本農業の将来像はお先真っ暗としか思えません」というのが浅川さんの見立てです。

 うーん、そうだろうか。私には、農水省がそこまで環境省に牛耳られているとは思えません。しかし、農林水産業の実態が、みどりの戦略案で踏みにじられているのはたしか、と考えます。取材の中で、この案は9月の国連食料システムサミット向け、と言う関係者もいました。いずれにせよ、現実的でない目標を押しつけられ、イノベーションという言葉でごまかされる現場の生産者が不幸。そして、そのために補助金がばらまかれれば、国民全体の不幸です。

パブリックコメントも、わずか2週間と形式的に行われ、ほとんどの人が知らないまま、みどりの戦略は策定されることになりそうです。日本の農林水産業は、これでよいのでしょうか?

<参考文献>
みどりの食料システム戦略~食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現~

EU・Farm to Fork Strategy

EU農薬規制リポート・COMMISSION STAFF WORKING DOCUMENT Accompanying the document REPORT FROM THE COMMISSION TO THE EUROPEAN PARLIAMENT AND THE COUNCIL Evaluation of Regulation (EC) No 1107/2009 on the placing of plant protection products on the market and of Regulation (EC) No 396/2005 on maximum residue levels of pesticides

EU農薬規制の評価についてのリポート・REPORT FROM THE COMMISSION TO THE EUROPEAN PARLIAMENT AND THE COUNCIL On the experience gained by Member States on the implementation of national targets established in their National Action Plans and on progress in the implementation of Directive 2009/128/EC on the sustainable use of pesticidesCOM/2020/204 final

Farmers Weekly 2021年4月2日付,Analysis: How Brexit affects farmers’ access to pesticides

消費者庁・EUにおける遺伝子組換え食品の表示及び監視の状況調査の結果について

EUバイオスティムラントについて・Regulation (EC) No 1107/2009 of the European Parliament and of the Council of 21 October 2009 concerning the placing of plant protection products on the market and repealing Council Directives 79/117/EEC and 91/414/EEC

駒形修ら,有機農業用資材「健草源・地」の除草活性と有効成分、千葉大学園芸学部学術報告

日本農業新聞2021年3月30日付,みどりの食料戦略 共生への理念 見えず

環境省・「農林水産省×環境省」連携合意について

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