食の安全 常識・非常識

2021年4月12日

»著者プロフィール
著者
閉じる

松永和紀 (まつなが・わき)

科学ジャーナリスト

1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ジャーナリストに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)、『効かない健康食品 危ない天然・自然』(光文社新書)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(同)で科学ジャーナリスト賞受賞。「第三者委員会報告書格付け委員会」にも加わり、企業の第三者報告書にも目を光らせている。

 

PHOTO BY OKUGAWA/GETTYIMAGES 写真を拡大

 農水省が現在、「みどりの食料システム戦略~食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現~」の中間とりまとめ案についてパブリックコメントを実施しています(12日まで)。この案、あまりにも実効性に欠けるため、今年9月の国連食料システムサミットや11月のCOP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)​で政治家がもっともらしい演説をぶちたいためのものではないか? そんな疑いすら持たれています。前回、有機農業の観点から問題点をお伝えしました。今回は、EUのグリーン政策を形式的に真似ることが、日本の農林水産業になにをもたらすのか、整理します。

EUの戦略はたしかに立派だが……

 EUは2020年5月、「Farm to Fork Strategy」(ファーム トゥ フォーク、農場から食卓までの戦略)を公表しました。フェアで健康的、かつ環境フレンドリーなフードシステムを目指す、とうたいます。具体的な目標として、2030年までの化学農薬50%削減、肥料の20%削減、有機農業面積25%以上という目標を掲げています。

 日本のみどりの戦略中間とりまとめ案では、2050年までに化学農薬使用量(リスク換算)の50%低減、化学肥料使用量30%低減、耕地面積における有機農業の取組面積25%までの拡大、農林水産業のCO2ゼロエミッション化などのKPI(重要業績評価指標)を掲げています。EUの戦略も挙げ、「我が国も国際環境交渉や諸外国の農薬規制の拡がりにも的確に対応していく必要がある」と明記しています。

 昨年11月、農水省に戦略本部が設置され今年1月、2月に意見交換会を計20回にわたって開催して学者や農業者などの意見を聞き、3月に中間とりまとめ案を公表。5月に策定予定と、すさまじいスピードで決まりつつあります。

 しかし、EUの戦略はそのような付け焼き刃ではありません。農薬の規制見直しは2009年の指令から、化学肥料の削減は1990年代から行われており、有機農業振興策も古くから続いています。今回の戦略は、それらに加えて気候変動の緩和策や適応策、食品ロス削減、消費者に対する食生活変更(牛肉や豚肉などのいわゆるレッドミート、加工肉を減らし野菜や果物などを多く摂る)の要請までも盛り込んだ包括的なものです。

 EUの戦略は多岐にわたってよく練られており、理念が感じられ国連のSDGs(持続可能な開発目標)にも沿って、非常に立派なものです。日本も見習うべき点が多いのはたしか。しかし、EUで掲げられる「理念」と「実態」は別物であるところに注意が必要です。

EUの農薬規制は複雑で矛盾をはらむ

 日本植物防疫協会(日植防)の早川泰弘理事長は、「EUの農薬規制はさまざまな矛盾を抱えている」と指摘します。早川理事長は農水省の出身で植物防疫課長を務めた人物。しかし、農水省が3月に開催した「植物防疫の在り方に関する検討会」で、みどりの戦略案について言及し、問題点を指摘しました。元官僚が、自分のいた省の方針に公の場で苦言を呈するのは異例の展開です。

日本植物防疫協会の早川泰弘理事長。古巣の農水省と農林水産業の将来を心配するからこそ、「みどりの食料システム戦略」案に苦言を呈する。 写真を拡大

 EUの農薬行政は2009年、大きく転換しました。予防原則を尊重したグリーン政策です。詳細は省きますが、これにより約7割の成分が農薬として登録できない結果に。ミツバチに有害であるとして大きな問題となったネオニコチノイド系農薬も、2018年には主な3剤が禁止となっています。この方向性は、環境団体から高く評価されています。

 ところが、話はここでは終わりません。EUの農薬規制は2段構えとなっており、EUとして有効成分(原体)を審査し承認した後、各国が製剤を許可し使用や販売を認める仕組みです。そして、EU段階では承認されず禁止されている農薬であっても、難防除病害虫などが発生し作物の被害が深刻でほかの対策がないときには、国が特定のエリア、作物に限って120日間以内の使用を認める「緊急許可」を出す仕組みがあるのです。

 EUのリポートによれば緊急許可の件数は年々増加し、2018年には550件に上っています。ネオニコチノイド系農薬も、フランスやベルギー、オランダなど各国で使われています。

EUにおける農薬の緊急許可件数の推移

EU における農薬の緊急許可件数の推移 出典:EU リポート Evaluation of Regulation (EC) No 1107/2009 on the placing of plant protection products on the market and of Regulation (EC) No 396/2005 on maximum residue levels of pesticides(COMMISSION STAFF WORKING DOCUMENT Accompanying the document 写真を拡大

 EU自身もリポートで正直に認めているのですが、農薬の出荷量から見るリスク指標では、2011〜13年と17年を比較すると2割減。ところが、どの農薬の使用が何度緊急許可されたかから算出したリスク指標では、むしろ5割も上昇しているのです。

EUの理念と実態の乖離

 また、EUの農薬規制は、農産物をEUに輸出したい国にとっては、科学的根拠のない貿易障壁とみなされる面があります。EUのリポートは、2015年から18年にかけて、EU以外の国々からWTOに、EUの農薬がらみで208件の「Specific Trade Concerns」(特定の貿易上の関心事項)が提起されたことも伝えています。EU側から他国へのこの間の提起は2件です。

 英国がEUから離脱したBrexitはさまざまな要因がありますが、英国の農業者がEUの規制に嫌気がさし、賛成に回った面はあるようです。そもそも、EUが2018年、一部のネオニコチノイド系農薬を禁止したのも一枚岩ではなく、英国は根拠が不確かだとして反対票を投じていました。

 英国の農家向けウェブサイトを見ると、Brexitで、より実践的かつサイエンスベースの規制が英国で運用され、新技術の利用もすばやく進むようになれば、英国農業にとって大きなチャンスとなり得る、と期待が膨らんでいます。

 このように、EUの農薬規制は一筋縄では行きません。もし、日本がEU並みの農薬規制を行ったら、WTOのこれだけの数の係争に耐えられる体力はありません。

 早川理事長は、「EUの表向きの数値だけを真似しても意味がない。EUの立派なところは、こうした問題点もしっかりとリポートにして公表しているところ。日本は、内容をもっと深く調べて、学ぶべきところを学ばなければいけない」と話します。

 ちなみに、EUのイメージと実態の乖離は、遺伝子組換え作物の取扱いでも見られます。EUでは、遺伝子組換えの表示や栽培規制が厳しく、栽培は遺伝子組換えトウモロコシがスペインとポルトガルで計10数万ヘクタール植えられているのみ。店頭でも遺伝子組換え食品は見かけません。そのため、日本でも「遺伝子組換え対策先進地」として環境団体や消費者団体などの受けがよいのです。

 しかし、実際には飼料として大豆や大豆ミール(油をとった後のかす)を1000万トン以上輸入しており、アメリカやブラジルなどからの輸入が大半であることから、多くは遺伝子組換え品種とみられています。遺伝子組換えの飼料を食べさせて得た肉や卵などは、EUでも遺伝子組換えと表示して売る必要がありません。そのため、EUの消費者は気付かぬまま、実際には遺伝子組換えの恩恵を受けています。

 EUのこの“老獪さ”、そしてイメージを作る演出力を、日本は学ぶべきなのでしょう。しかし、EUを簡単に真似られるわけではなく、日本の実情を無視して真似てよいわけでもありません。

ドローンで解決するほど単純ではない

 欧米に比べて日本は高温かつ湿度が高く、病害虫や雑草が増殖しやすい特徴があります。大陸から、ウンカなどの害虫も飛来します。温暖化により、病害虫や雑草の被害は増加傾向にある、と考えられています。水田作は、温室効果ガスを大量発生する農法でもあります。そして、エネルギー資源がなく鉱物資源も不足し、大量の食料・飼料を輸入する国でもあります。

 そうした日本の実情に合う対策、欧米とは異なるアイデアが必要です。ところが、みどりの戦略案では、EUの表面的な数字や対策の追随が目立ちます。そして、その合間にさまざまな流行ワードがちりばめられている、という感じなのです。

 たとえば、ドローンは、「イノベーション等による持続的生産体制の構築」の象徴らしく、ドローンによるピンポイント農薬・肥料散布の普及/ドローン散布可能な農薬登録の拡大/ドローン等を活用したリモートセンシングによる生育・病害虫管理技術の確立/ドローンやAIを用いた病害虫の画像診断技術の普及というふうに、案の中で手厚く取りあげられています。たしかに、ドローンを飛ばして病害虫被害を画像診断しドローンを飛ばしてそこだけに局所的に農薬散布すれば、人手がかからず化学農薬の使用量は必要最小限となり理想的……。

 ところが、そう簡単な話ではないのです。日植防の早川理事長は「病虫害の被害が目に見えた時には、目に見えていない部分にまで被害が及んでいるのが普通だ」と言います。小さな虫の増殖拡大は目には見えにくいものですし、ましてやカビの胞子の飛散や細菌の増殖し始めは見えません。そのため、農薬の局所散布は、どの程度の広さまで行うかの判断が非常に難しいのです。どんな作物において、どのような虫の被害や病害が発生し、どの農薬を選んで散布するか、という組み合わせによっても、その広さは変わってきます。そうした注意がなければ、ドローンで散布しても実際には既に病虫害が周辺に広がっていて、被害が止まらない、となってしまいます。

 早川理事長が所属する日植防でも今、ドローンを用いた場合の散布量と防除効果等について研究中。まだ結果は出ていません。ドローンを普及させれば解決、というほど農業は単純ではありません。

関連記事

新着記事

»もっと見る