2024年2月25日(日)

サムライ弁護士の一刀両断

2021年7月30日

公表による利益か、忘れられる利益か

 もっとも、過去の不祥事に関するプライバシー権や忘れられる権利は、過去を隠ぺいする権利ではない。とりわけ公共性の高い立場・社会的地位にある人の場合、過去のことであっても公表され評価にさらされる必要も時としてあるだろう。

 この点、個人の犯罪歴に関わる記事をインターネット上の検索結果から削除するよう求めた前出の17年1月31日判決の裁判で、最高裁は、公表された事実の性質や内容、その人の社会的地位や影響力、記事の目的や意義、記事が出された時の社会的状況やその後の変化、記事の必要性などから「事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には」記事を検索結果から削除することを求められると判断した。

 逆に言えば、事実を公表されない法的利益が、事実を公表することによる社会的利益を明らかに優越すると言えない場合には、たとえ過去の出来事であっても甘んじて公表を受け入れなければならないということになる。

 オリンピックの開会式のような公のイベントの場合、制作担当者にもオリンピックが掲げる精神を体現できるだけの高い資質が求められることは論を待たないであろう。制作の重要なポジションにいる人物が、過去にオリンピックの精神と相容れない行動を取っているような場合には、オリンピックが本来持っているメッセージを損なうことになりかねないからである。

「過ちと向き合う」ことで評価を

 今回のようなケースは、国民の誰もが該当する可能性があると言える。過去の過ちをいつまでも非難されるというのは、場合によっては理不尽かもしれない。特に一般の個人の場合、過去の過ちを過剰に非難されることで平穏な社会生活が脅かされるようなこともあるので、一定程度の「忘れられる権利」が必要だろう。

 これに対して公共性の高い立場にある人の場合には、そういった過去の不祥事も踏まえた評価が当てはまることが多いのではないかと思われる。

 ただし、その場合には、そういった過去の不祥事に対してどのように向き合い、考えを変え、どのような行動を取ってきたのかによっても評価が変わってくるはずだ。

 今回、開会式の制作担当を外れたうち一人については、問題とされたコントの発表後、過去の行き過ぎた表現活動を振り返り、誰も傷つけない表現活動への取り組みや、積極的な社会貢献などを行ってきたことに一定の評価を受けている。そのため、担当を外されたとしても批判の声は少ないように思われる。

 特に公共性の高い立場にある場合「忘れられる」ことよりも、「過ちとどのように向き合い、どう行動し、どう変わってきたか」を真摯に発信することが、重要になるのではないかと考えられる。また、社会としても、過去の過ちをいつまでも批判し続けるだけでなく、どう向き合い変わってきたかのかという視点も必要なのではないだろうか。

  
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