新しい原点回帰

2022年1月10日

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磯山友幸 (いそやま・ともゆき)

ジャーナリスト

千葉商科大学教授(4月から)。1987年日本経済新聞社に入社。フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長などを務め、11年に独立。著書に『2022年、働き方はこうなる』(PHPビジネス新書)など。

古市尚久
吉田商店代表取締役社長
1956年生まれ。慶應義塾大学卒業後、フジテックに入社。シンガポールに駐在するなどして国際経験を積む。結婚後、妻の実家である吉田商店に入社、2011年に社長就任

 「久兵衛」や「東京 吉兆」といった高級寿司店・料亭が決まって「海苔」を仕入れる問屋が東京・大森にある。吉田商店。海苔問屋で修業した初代が独立して東海道沿いに店を開いた1872年(明治5年)から続く老舗で、来年で創業150年の節目を迎える。

 大森と言って海苔を思い浮かべる人は、今や少ないだろう。もともと海に面した豊かな漁場で、江戸時代から続く「海苔」の一大産地だった。東京湾の埋め立てによって、伝統的な海苔養殖は1962年(昭和37年)に幕を閉じ、大森は日本の高度経済成長を支えた工場の町へと姿を変えていった。

 

 だが、かつての名残りで、大森には多くの「海苔問屋」が存在する。

「今でも70社ほどあって、うち50社が組合に加盟しています。全国では400社ですので、1割以上が大森にあることになります」

 大森本場乾海苔問屋協同組合の理事長も務める吉田商店の古市尚久社長は言う。吉田商店の4代目である。

 海苔の産地ではなくなったにもかかわらず、大森が海苔問屋の中心地であり続けるのはなぜか。

「ひとえに目利き力だと思いますね」と古市社長。「海苔は同じ産地の同じ漁場のものでも、採った日が数日違うだけで品質がまったく変わる。それを職人技で見極めて買い付け、お客様にお届けしています」

 料理にこだわる高級店になればなるほど、脇役の食材である「海苔」の味や香りへのこだわりは強い。

 吉田商店の扱う海苔は他店とは一風変わっている。近年の高級海苔の産地といえば、「有明海産」が圧倒的に有名で、流通量も多いが、吉田商店は三重県の「伊勢湾産」にこだわっている。2代目から続くこだわりで、今は姿を消した大森産の海苔の味の系譜を継ぐものだったことから、吉田商店の扱う海苔はほとんどが伊勢湾産だ。

 海苔の業界で、品質の評価は「色艶第一」と言われる。贈答用の品として重用されてきたことと無縁ではない。江戸時代は将軍家などへの「献上品」だったし、明治以降もお中元やお歳暮の品と言えば「海苔」という時代がつい最近まで続いていた。味や香りも大事だが、見た目が黒々として美しい。それが高級海苔の第一条件だった。

 ところが、伊勢湾産は「ツラが悪い」と業界で言われてきた、という。「しかし、味と香りは抜群なのです」と古市社長。木曽川や長良川など巨大河川が流れ込む伊勢湾の海苔は上流の豊かな森の恵みを、味と香りに封じ込めている。中でも河口にある桑名・伊曽島産は絶品だという。有明海の海苔が、色艶の良い優しい香りの海苔なのに対して、しっかりとした味わいの強めの香りを持つ。

 ただし、全国の海苔の流通量のうち三重県産は4%程度、中でも桑名産になると1%ほどしかない。その中で、吉田商店のお眼鏡にかなう伊曽島産などの高級品は0.1%。そんな希少な海苔だけを年に10回ほど買い付ける。「ものを見て買う」のは代々受け継がれる掟だ。大事なのは実際に焼いて食べてみること。買い付けは入札で行うが、納得したものはきちんと高値を入れて落札する。

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