2024年12月14日(土)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2021年12月7日

 11月8日から11日の日程で開かれた中国共産党の六中全会で採択された「歴史決議」については、習近平が自分を中心に据えて歴史を書き換えていることが指摘されている。

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 習近平は、中国共産党の百年を4つの時期に区分する。第1の民主主義革命期(1919~49)と第2の社会主義革命及び建設期(49~78)の2つを指導したのが毛沢東思想、第3の改革開放及び現代化建設期(78~2012)を指導したのが鄧小平理論だとする。

 そして12年、すなわち習近平が総書記に就任して以降を「中国の特色ある社会主義の新時代」とし、それを指導するのが「習近平思想(習近平の新しい時代の中国の特色ある社会主義思想)」であると位置づける。つまり、これからの100年のスタートを指導するのが習近平思想だということにした。

 この思想を創りだしたのが習近平であり、党と国家を指導し、実施してきたのも習近平である。ゆえに、これからも習近平の指導が不可欠であるという論法で、習近平の長期政権(少なくとも習近平思想を懸命に実行する政権)の存在が不可欠であることを示そうとしている。このロジックを権威づけるために必要な飾り付けが今回の「歴史決議」であり、毛沢東、鄧小平と並び立つ指導者と言われるためには不可欠と判断したのであろう。

 しかし、前途は厳しい。毛沢東も、鄧小平も、歴史決議を通した後、本当の勝負の時が待っていた。1945年の歴史決議を経て、毛沢東は強大な国民党を倒し、49年に中華人民共和国を建国した。この不可能を可能とした偉業が、毛沢東の圧倒的権威の源泉であった。

 鄧小平は、81年の歴史決議を経て78年末に始めた改革開放政策を定着し発展させ、今日の経済的隆盛の基礎を作ったように言われている。しかし、その間、何度も難局を迎えている。

 89年の天安門事件は改革開放政策のせいだと厳しく批判され、経済政策も政治改革も後退した。これに危機感を覚えた鄧小平が、92年、最後のご奉公ともいうべき「南巡講話」を行い、中国経済を改革開放の方向に大きく引き戻し、今日の発展のレールを敷いた(政治改革問題はストップ)。つまり、歴史決議から政策の定着まで10年かかったのだ。

 習近平にも同じ道が待ち受けている。今回の歴史決議を経て、実際に何がもたらされるのか。党員も国民も、ここを厳しく見ている。習近平思想が、毛沢東思想や鄧小平理論と同じような幅広い支持を得ることができるかどうかは、教育や宣伝よりも、今後の実績によるところが大きい。


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