2024年6月18日(火)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2021年12月29日

英国にも法的見解から説明

 その間、37年8月にヒューゲッセン駐中英国大使が南京から上海へ自動車で移動中に日本海軍機の機銃掃射を受けて負傷した事件が発生したが、これについてはまず榎本が意見書を作成し、山本が修正の上、クレーギー駐日英国大使に面会して説明した。

 その要旨は「支那事変は国際法上にいわゆる戦争ではないかも知れないが、事実上戦闘が行なわれている以上は、交戦法規に準拠して行動すべきは当然である。戦闘が交戦法規の範囲内で行われる限りは、因って生ずる損害は第三国人(非戦闘員を含む)の身体財産に関するものであっても、交戦者はその責に任ずる義務はない。非戦闘員を故意に殺傷することは交戦法規の禁止するところであるから、飛行機が非戦闘員が平和業務に従事していることを知りつつ故意に攻撃したとすれば責任を免れることを得ない道理であるが、帝国海軍機が故意に非戦闘員を攻撃するが如きことは全然あり得べからざることである」というものであり、山本は会談の席上で、英国人法学者の著作(原著)の一節を示して説得的な弁明を行ったという。

詳細な調査で米国とも交渉

 ついで、37年12月に南京付近の揚子江(長江)上で米国砲艦パネー号を日本海軍機が爆撃し撃沈した事件については、まず長谷川第三艦隊司令長官が参謀長を米アジア艦隊司令長官の下に陳謝に赴かせ、海軍省は航空戦隊司令官を内地に帰還させ、関係者の処分を行った。

 だが米国内では「日本機が米艦と知りながら意図的に攻撃した」という主張が力を得て、かつての艦隊派領袖であった加藤寛治も、この時期に偶然会った榎本に「これは大津事件にも匹敵する大変な事件で、場合によっては陛下にお願いしないといけない」という旨、深刻な憂慮を表明した程であった。このとき榎本は「大丈夫ですよ、山本さんが一生懸命やっていますから」と返答したというが、果たして山本は、この事件への対応に際して情況を精細に調査し、あらゆる資料を収集し、更に理論上帝国側に責任があるか否かを研究し、全く戦場に於ける通常の過誤に過ぎないことの確信を得た上で、米大使館を訪問して状況説明にあたったという。その努力が功を奏し、日本側が賠償金を支払うことで事態は決着を見た。

五十六の〝目〟からこぼれた戦闘も

 これらの経過や海軍省の公表を眺めて言えることは、山本は中国との全面戦争(あくまで名称は「事変」であったが)において、国際法の専門家である榎本の意見を重視し、英米との決定的な衝突を避けるために最大限の努力を払い、また国際社会には「支那の不法行為・帝国の自衛行為」という立場をしばしば表明する役割を担った、ということである。この点で、日本海軍あるいは日本帝国の利益に十分配慮しながら行動したといえよう。

 ただ、山本は次官在任当時、現地での戦闘について可能な限りの情報や報道を集めようとした形跡があるが、現地の海軍部隊が法規での範囲を超えて戦闘行動を行ったケースまではフォローしていなかったように思われる。たとえば39年7月5日深夜から6日早晩にかけて海軍航空隊が2度にわたって行った重慶への爆撃、および7日早暁の爆撃は、多くの中国人非戦闘員の人命に損傷を与え、米国の施設にも損害が発生した。これに対し、ローズヴェルト大統領は自らハル国務長官に指示して、日本大使に対して「日本は、他の諸国に、征服目的のための軍事作戦に従事しているように見える」という抗議を行わせている。

 榎本は戦後、「日本が何と弁明してもアメリカからみれば明らかなる侵略であるから喧(やかま)しいのである。日本が適当な時期に無賠償、支那撤兵に踏み切ればアメリカは納得したろうと思う」と回想している。山本もおそらく、この榎本の回想文と同意見であったように筆者は想像するが、日本が自衛の範囲をはるかに超えてしまい国際的な孤立を深めていった経緯と、その中で山本や榎本らの言動がどのように位置づけられるのかは、今後の研究課題として残されている。(第3回に続く)

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