2022年11月28日(月)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2021年12月29日

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畑野 勇 (はたの・いさむ)

根津育英会武蔵学園勤務

1971年生まれ。95年、武蔵工業大学工学部電気電子工学科卒業。2002年、成蹊大学大学院法学政治学研究科博士後期課程修了、博士号(政治学)取得。著書に『近代日本の軍産学複合体』(創文社)。

真珠湾攻撃から80年となった2021年、山本五十六に注目が集まっている。NHKの特集ドラマ「倫敦(ロンドン)ノ山本五十六」放送を前に、4回に分けてその実像に迫っていく。

 自らが連合艦隊司令長官に就任して以降、1940年に浮上した三国同盟締結の再度の動きについて、山本五十六がいかなる意見を抱いていたかを示す文献として、山本の郷党で後輩であった反町栄一による『人間山本五十六』(光和堂)が有名である。

山本五十六(出典)[山本五十六肖像写真]

 そこでは、「山本元帥は国内革命では日本は亡国にはならぬ、勝算なき対外戦争こそ国を亡ぼすものだ、とて戦争に強く反対し、又左の一文を当局に呈出して自己の信念を陳べておられる」として、以下の文面が引用されている。

 「日米戦争は世界の一大兇事にして、帝国としては聖戦数年の後、更に強敵を新たに得ることは誠に国家の危機なり……よって日米正面衝突を廻避するため、両国とも万般の策をめぐらすを要す可く、帝国としては絶対に日独同盟を締結す可からざるものなり」【注:傍線部は筆者による。また、読みやすさを考慮して句読点を多少書き加えた】

 この意見書の文面はその後、阿川弘之によって書かれた『山本五十六』(新潮文庫)にも「山本は艦隊から、あらためてドイツとの同盟問題に関する意見書を提出している」として再引されているが、阿川は「この意見書は、内容だけが記録に残っていてその提出先は不明であるが、大臣の吉田【筆者(畑野)注:吉田善吾大将、山本と海兵同期】はむろん読んだにちがいない」と断り書きを入れている。

判然としない当時の五十六の見解

 この意見書の出所が判然としない状態が、半世紀以上にわたり続いていたが近年、日本近代史・軍事史研究家の横谷英暁氏によって、その状況打開のきっかけが作られた。横谷氏は、海軍書記官であった榎本重治が、三国同盟締結の約4カ月後である41年1月に起案し部内で回覧した「三国条約ニ因ル応援義務」という意見書に着目し、前記の反町著で「山本の意見書」とされていた文章の大部分が、この榎本の意見書とほとんど同一の内容であることを発見し、雑誌『水交』第651号(2018年)に紹介している。

 同氏はまた、反町著で掲載されている意見書の傍線部分「両国とも万般の策をめぐらすを要す可く、帝国としては絶対に日独同盟を締結す可からざるものなり」は、榎本意見書では「両国共万般の策を廻(めぐ)らすを要すべきも、帝国としては原則として三国条約の埒内(らちない)に於て施策せざるべからず」となっている(榎本意見書では、その後に具体的な施策例を3つ提示している)点を指摘している。

 筆者の見るところ、この榎本の意見書は、おそらく山本自身ではなく他の誰かによって、山本のものとして紹介され、それが反町著や阿川著に取り上げられたと見るべきであろう(ただ、末尾の部分がかなり改変されているが、これが誰によるものかは判然としない)。

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