2024年12月14日(土)

知られざる高専の世界

2022年1月29日

函館工業高等専門学校(北海道)

 2021年11月、函館で54年ぶりの酒蔵「函館五稜乃蔵」が誕生した。しかもそこには函館工業高等専門学校の研究スペース「高専ラボ」が併設されている。さかのぼること15年前、同高専で物質環境工学科の小林淳哉教授は忸怩たる思いに駆られていた。「函館を訪れた人に『うまい海鮮には、やっぱり日本酒ですね。地酒はありますか』と尋ねられても、400㌔メートル以上離れた旭川の日本酒を紹介するしかなかったのです」。

 函館に地酒を──。この思いから全ては始まった。だが、その道のりは前途多難、いや、無謀と言っても過言ではない。なぜなら、小林教授はセラミックスなど無機材料の専門家。醸造やバイオテクノロジーについては門外漢だったのだ。それに酒を造ろうにも、蔵がない。一体どうやって……?

 まずは酒造免許を取得した小林教授。生物系の教員の手も借りながら「蔵がなくても、酵母は探せる」と醸造に欠かせない酵母の探索を開始した。実は地酒といっても、酵母までオリジナリティーがあることは珍しい。一般的には日本醸造協会から配布される醸造用の「きょうかい酵母」が使われることが多い。「やるからには、酵母からこだわりたい」と小林教授が目を付けたのは、花だった。酵母は糖をアルコールに換えるはたらきを持つ。つまり自然界の糖源である花の蜜からは、花酵母が分離できることが知られている。

 小林教授はゼミの学生たちと片っ端から花を集めた。ハマナス、ツツジ、梅、エゾヤマザクラ……。ジャガイモ畑を訪ねたこともあった。そして、花から酵母を分離・培養しては、アルコール発酵の能力を評価してゆき、ようやく辿り着いたのは菜の花から採取した酵母だった。既に4年の月日が流れていた。

 だが発酵実験に成功しても、目指すのはアルコールではなく「酒」だ。原理だけ見れば、①麹が蒸米のでんぷんをグルコースに分解する、②酵母が糖を分解してアルコールにする、と2段階で示せるが、米の蒸し具合ひとつとっても酒の味を大きく左右する。「教本片手に試しても、米の蒸しあがりの正解がわからなかった」と小林教授。さらに食用米の精米機で、醸造米になるまで削ろうとすると、熱でヒーターが焼き付くは、米は割れるはと四苦八苦。「これはプロに教わるしかない」と函館高専地域連携協力会の支援で、杜氏(とうじ)を目指して各地の蔵で修業を積んでいる人から手ほどきを受けることになった。樽を使った本格的な酒造りの始まりだ。

 さらに、課題解決型のPBL(Project-based Learning)授業の題材として、ゼミ生以外の学生も巻き込み、試行錯誤が続いた。ようやくアルコール度数を高められるようになり、喜んだのも束の間、接着剤のような悪臭が鼻をついた。アルコール度数が上がると酵母自身がそれに耐えられなくなり、酵母の死骸(アミノ酸)が悪臭の原因となる。野生酵母を使った場合によく起こる現象だ。そこで酵母の遺伝子変異を誘導し、アルコール耐性に優れた変異株を選抜。これで見事にアルコール度数15度を達成し、フルーティーな吟醸香が実験室に立ち上った。

2021年11月に完成した「函館五稜乃蔵」。「函館の地酒」造りが行われている。(写真=函館高専提供)

 2014年、菜の花酵母は兵庫県の小西酒造の試験醸造をクリアし、ついに純米吟醸酒「函館奉行」として販売を開始。そこから「函館の地に蔵を構える」という悲願達成までの苦労は「酒蔵の話をすれば、酒の味は苦くなり、日に日に酒量は増えていった」という小林教授の言葉から想像に難くない。転機となったのは、17年に北海道に戦後初の酒蔵を新設した上川大雪酒造との出会いだった。さらに米農家や地元経済界など多くの後押しを受け、ついに夢の花は開いた。

 上川大雪酒造の親会社と、函館高専同窓生の企業家らが出資し、新会社「函館五稜乃蔵」を設立。旧函館亀尾小中学校の跡地に「五稜乃蔵」を建設した。ここで上川大雪酒造が上川町、帯広市に続く北海道内で3カ所目の酒蔵として、酒造りを行う。昨年末から初仕込みが始まり、今月末には最初の酒が発売される予定だ。

 酒造りを指揮する総杜氏の川端慎治代表取締役副社長は「品質の良さを追求するだけでは長く売れるような商品にはならない。商品の魅力を高めるためには、そのお酒ならではのストーリーが重要だ。高専生の力を借りて、地元の人が誇れるような地域に密着したお酒を造っていきたい」と話す。


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